車両と実験走行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/04 09:21 UTC 版)
「高速電気鉄道研究協会」の記事における「車両と実験走行」の解説
ケルンのツァイペン&チャリアーは2両の電車を製造し、AEGとジーメンス・ウント・ハルスケはそれぞれに電装品を提供した。50人が乗れるスペースが条件だった。1903年9月中旬から11月末にかけて、いずれの車両も時速200kmを超える高速走行を達成した。最速記録は10月28日にAEG製車両が出した時速210kmだった。 ジーメンスの三相交流電車。206km/hを記録 実験は従来の設計の車両ではるかに速い速度を得られることを示し、これを本線に活用するという商業上の要請を生むことになった。技術的な観点からは相当な成功であったにせよ、経済的な利得は長期的な観点でのみ得られるものだった。しかし、2つの電機メーカーは、実験からの利益を早期に確保することを企図し、1904年はじめにはベルリン・ハンブルク間の高速鉄道に関する覚書を締結した。同じ年のセントルイス万国博覧会には、車両の巨大な写真が展示され、実験走行について詳しく紹介された。しかし、期待された発注はなされなかった。 「高速鉄道の最高速度記録の歴史」も参照
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