諸都市や諸藩の反応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 23:25 UTC 版)
法令が通達されたにもかかわらず、規約を残したまま組や講と称して年行司を置くようになるなど、解散令は徹底されなかった。堺・近江八幡では株仲間は無くならず、兵庫では問屋・仲買の名称をやめて諸問屋を「諸国荷請屋」に、穀物仲買は「穀物商人」と変えただけで内実は変えず、奈良では物価引下げ令は諭達されたが仲間解散は実行されなかった。江戸では法令は十組問屋に対してのものでそれ以外の問屋は自分たちには無関係のことだとし、江戸以外の地では江戸の問屋仲間だけの解散令であるとして、活動を続ける者が少なくなかった。問屋仲間は解散されたものの、問屋それぞれの商売は自由であったため、問屋仲間の機能を維持させ続けている者たちもいた。かれらは問屋仲間の名称こそ使用していないものの、「御触以前の姿にて取引」していた。これは、歴史学者の北島正元は問屋側が法令をできるだけ自分たちに有利に解釈し、既得権を守りぬこうとしたからと解釈している。 そのため、翌13年2月27日に、京都所司代と大坂城代にあてて、法令は十組に限らず全ての仲間に適用されることを触れ(『日本財政経済史料』第三巻、8-9頁)、京都町奉行・大坂町奉行・伏見奉行・奈良奉行その他の支配向きに対して洩れなく連絡するように命じた。翌3月2日、仲間・組合だけでなく問屋の名目も廃止し、物価に関係がないために除外してきた湯屋や髪結床の仲間も弊害が認められるので解散となった。冥加・無代納物・無賃人足・川浚駆付などの負担はすべて免除。同業者が出来しても妨害は禁止。品物を買い込むのはよいが、他国へ前金を送って品物を囲い置き、値が上がるのを待つのは〆売りに当るので禁止。同年10月には、符帳による取引きを禁止、商品一品ごとに正札をつけ、帳面にも元値段・売値段を記入するよう命じた。 大坂の二十四組問屋・三所綿屋仲間などは解散され、生産者・農村商人の活躍はいちだんとはげしくなったが、仲間外の商人の買占め・せり売り・横流しがいっそうさかんになったため、自由な流通を保証することで大坂からの商品入荷量を増やすという幕府の意図は達成されなかった。そのため天保13年8月、在方綿売買取締り令を発し、大坂町奉行の阿部正蔵は大坂への出綿額の減少を防ぐため大坂綿市場の解体を保留した(『大阪市史』第四下)。京都・大坂の金銭両替は、株仲間という呼称が禁止されたに留まり、堂島米市場はここでの米相場が全国の米価の基準とされていることから、諸物価への影響を考慮して、米仲買の株仲間は解散させられたが米売買方は従来どおりとなった。ほかにも大坂では砂糖屋・竹材木屋や、警察的機能を果たす質屋・古手屋・古金古道具屋など約20の仲間が解散を保留され、冥加金銀も当分上納を認められた。物価引き下げ令は大坂では江戸より半年ほど遅れて発令された。諸色値段・卸値段・小売値段の引き下げのためには、生産地の原価から引き下げねばならないが、株仲間解散によって問屋商人の集荷機構が崩壊していたため、引き下げ令はさほどの効果を上げられなかった。 大名諸家では、領域市場を掌握するためにも、特産物専売のためにも、特権的な問屋商人との結託が必要だったため、法令に無関心かあるいは黙殺する方針をとる藩が多かった。広島藩では天保期に入ってから問屋仲間の結成を奨励して木地物改所・木綿改所を設置し(『新修広島市史』。広島県編『広島県史』近世2(1982年))、松前藩では18世紀中葉に株立された廻船問屋が移出入津税の徴収を代行しており(中西聰『近世・近代日本の市場構造』第二編、東京大学出版会、1998年)、上田藩や岡山藩のように解散令を実施した藩は一部だけだった。一方で、藩発行の米切手の値段が下落し、物価が騰貴していた尾張藩では、天保13年3月に仲間・組合を解散し、冥加銀の上納を免除した。しかし、同時に国産会所を設立して問屋を藩権力の傘下に置き、江戸へ直送して売り込む体制を作った。 貨幣鋳造権をもたない諸藩は藩財政悪化克服のために、幕府以上に藩専売や流通課税を強力に推し進めた。従来大坂の蔵屋敷に送って売却していた特産品を大坂市場を経ずに江戸や諸都市の需要地に直送したり、回漕途中で赤間ヶ関などで買われたり、蔵屋敷に納めた産品を値上りを待って売り惜しみしたりと、大坂における諸藩国産品の流通を混乱させ、大坂の中央市場としての地位はさらに低下した。西日本の領主たちは、自国だけでなく他国の特産品を買い集めて蔵屋敷に保管して相場が高値になった時に売り払ったり、出入りの町人に売却させたり、民間の売買を禁止する専売仕法を実施したりしていた。そのため、株仲間解散後も江戸への商品入荷が増えない原因の1つであるとして、幕府は天保13年10月に諸藩の専売制を禁止した。
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