諸豪勇の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/13 01:26 UTC 版)
日高南部〜道東において、メナシクルの首長シャクシャインが勢力を拡大していた17世紀半ば、石狩アイヌではハウカセという首長が石狩川流域から増毛〜小樽一帯に至る地域を影響下に置く大勢力を築いていた。ハウカセは石狩川流域に加えて増毛から小樽に至る日本海側一帯も勢力下に収め、また姉の嫁ぎ先であった雨竜アイヌとも同盟関係にあるなど、17世紀の北海道アイヌの中でも屈指の大勢力を有していた。 シュムクルとメナシクルの抗争、シャクシャインと松前藩との戦い(シャクシャインの戦い)においてハウカセは一貫して中立を保っており、ハウカセ率いる石狩アイヌは大勢力を背景に独自の外交路線を採っていた。シャクシャインの戦いの終結後、松前藩が貿易途絶をちらつかせて日本海側アイヌの屈服を求めた時も、ハウカセは容易に屈服しなかった。しかし、一刻も早く松前藩との貿易を再開したい余市アイヌ(樺太アイヌの一派と見られる)など他のアイヌ系集団が松前藩と和睦していったこともあり、最終的にはハウカセも松前藩と和睦した。
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