諸隊鎮静部隊結成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/14 23:14 UTC 版)
12月25日、藩政府は決起した高杉らの追討を決め、毛利宣次郎を諸隊鎮静総奉行に任命した。だがこの鎮静部隊編成には俗論派政府内で激論があった。俗論派内の強硬派は全諸隊の追討と厳罰を主張する。しかし大多数の意見は、決起した遊撃隊のみを追討し処罰についても首謀者のみに留めるものであった。最終的に俗論派政府は、馬関にて決起した高杉ら遊撃隊のみを追討することとする議案を藩主へ提出した。しかしこの追討についても、議案を見た藩主敬親が一読の後にこれを鎮静に改めさせた。「そうせい公」と呼ばれた敬親が、議案を自ら変更することは非常にまれであった。
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