英国女王に即位とは? わかりやすく解説

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英国女王に即位

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 04:41 UTC 版)

ヴィクトリア (イギリス女王)」の記事における「英国女王に即位」の解説

1837年6月20日午前2時20分にウィリアム4世ウィンザー城崩御した。これによりヴィクトリア18歳にしてハノーヴァー朝6代女王即位した宮内長官英語版カニンガム侯爵カンタベリー大主教ウィリアム・ハウリ(英語版)は新女王即位報告をするため、ケンジントン宮殿へと向かったヴィクトリア午前6時に母ケント公妃に起こされ純白寝衣のまま、カニンガム侯爵カンタベリー大主教引見した。カニンガム侯爵は彼女に国王崩御報告しその場跪いて女王の手口づけした。 ついで午前9時に首相であるメルバーン子爵ケンジントン宮殿訪問してヴィクトリア引見を受け、彼女の手口づけした。ヴィクトリア彼に引き続き国政任せると述べた午前11時半よりケンジントン宮殿内の赤の大広間において最初枢密院会議開いた出席した枢密顧問官たちは新女王優雅な物腰毅然とした態度堂々たる勅語感服したという。ウェリントン公爵はその光景を「彼女はその肉体で自らの椅子満たし、その精神部屋全体満たしていた」と表した。またジョン・ラッセル卿は「ヴィクトリア女王治世後代まで、また世界万国に対して不滅光を放つであろう」と予言したイギリスではピューリタン革命名誉革命、またハノーヴァー朝初代国王ジョージ1世ハノーファー選帝侯ゲオルク1世)がハノーファーばかりに関心持ちイギリスにほとんど関心を示さなかったことなどにより、他国君主比べる君主権がやや弱く内閣議会の力が強い傾向があった。とはいえ19世紀半ばイギリス国王はいまだ巨大な国王大権有しており、いざという時には強権発動が可能であった大臣任免議会招集解散国教会聖職者判事任免宣戦布告などは国王大権であった前王ウィリアム4世自分と対立した首相メルバーン子爵一度罷免している。彼女が受け継いだ王位はそうした巨大な権力であったヴィクトリア即位の日の日記に「私が王位につくのが神の思し召しなら、私は全力挙げて国に対す義務を果たすだろう。私は若いし、多くの点で未経験者である。だが正しいことをしようという善意欲望においては誰にも負けない信じている。」と抱負書いている。 即位の日の引見はいずれも母の同席なしで行なった。この日以来彼女は家族絡み会見以外はすべて一人で行うようになった。母もヴィクトリアとともにケンジントン宮殿からバッキンガム宮殿移っているが、ヴィクトリアは母が自分干渉してないよう、母の部屋自分の部屋から遠ざけた家令サー・ジョン・コンロイに至って今後目通り一切叶わない旨を通達している。一方、レーツェンは自分の部屋の隣に留め置いて相談役として重用した。また叔父ベルギー国王レオポルド側近であるコーブルク家臣クリスティアン・フリードリヒ・フォン・シュトックマー男爵レオポルドとの連絡役としてバッキンガム宮殿勤務するようになり、ヴィクトリア新たな助言役となっていった。しかし、ベルギー肩入れするよう求めレオポルド要請に対してヴィクトリア慎重に回避し続けた女王として年金385000ポンドランカスター公としてランカスター公領からの収入2万7000ポンドを受けるようになり、そのお金父親残した巨額借金返済し、何不自由ない生活を送るようになった。 翌6月21日セント・ジェームズ宮殿君主宣言の儀を行い勅命によって王名を「ヴィクトリア」と定め以降「アレクサンドリナ」は使用されなくなった戴冠式即位1年後1838年6月28日ウェストミンスター寺院において挙行した。ウェストミンスター寺院までの道すがら、「女王陛下万歳」を叫ぶ群衆たちの中を黄金馬車英語版)で通過したヴィクトリアその日日記に「このような国民たちの女王となることをいかに誇りに思うことか」と書いている。ちなみにヴィクトリア戴冠式合わせてオーストリアからヨハン・シュトラウス1世到来しヴィクトリアは彼から『ヴィクトリア女王讃歌』というウィンナ・ワルツ捧げられた。これが端緒となってヨーロッパ大陸諸国に遅れること20年、ようやくイギリス社交界においてもワルツ受容されたという。 新女王御前跪いてその手口づけする宮内長官カニンガム侯爵カンタベリー大主教ウィリアム・ハウリ。 即位当日最初枢密院会議を開くヴィクトリア女王描いたデイヴィッド・ウィルキー絵画ヴィクトリア純白の服を着ているが、これは彼女を目立たせるためであり、実際には黒い喪服着ていた。 ウェストミンスター寺院でのヴィクトリア女王戴冠式描いたジョン・マーティン絵画 戴冠式カンタベリー大主教から聖油英語版)を注がれるヴィクトリア描いた絵画

※この「英国女王に即位」の解説は、「ヴィクトリア (イギリス女王)」の解説の一部です。
「英国女王に即位」を含む「ヴィクトリア (イギリス女王)」の記事については、「ヴィクトリア (イギリス女王)」の概要を参照ください。

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