英国女王に即位
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「ヴィクトリア (イギリス女王)」の記事における「英国女王に即位」の解説
1837年6月20日午前2時20分にウィリアム4世はウィンザー城で崩御した。これによりヴィクトリアが18歳にしてハノーヴァー朝第6代女王に即位した。 宮内長官(英語版)カニンガム侯爵とカンタベリー大主教ウィリアム・ハウリ(英語版)は新女王に即位の報告をするため、ケンジントン宮殿へと向かった。ヴィクトリアは午前6時に母ケント公妃に起こされ、純白の寝衣のまま、カニンガム侯爵とカンタベリー大主教を引見した。カニンガム侯爵は彼女に国王崩御を報告し、その場に跪いて新女王の手に口づけした。 ついで午前9時に首相であるメルバーン子爵がケンジントン宮殿を訪問してヴィクトリアの引見を受け、彼女の手に口づけした。ヴィクトリアは彼に引き続き国政を任せると述べた。 午前11時半よりケンジントン宮殿内の赤の大広間において最初の枢密院会議を開いた。出席した枢密顧問官たちは新女王の優雅な物腰、毅然とした態度、堂々たる勅語に感服したという。ウェリントン公爵はその光景を「彼女はその肉体で自らの椅子を満たし、その精神で部屋全体を満たしていた」と表した。またジョン・ラッセル卿は「ヴィクトリア女王の治世は後代まで、また世界万国に対して不滅の光を放つであろう」と予言した。 イギリスではピューリタン革命や名誉革命、またハノーヴァー朝初代国王ジョージ1世(ハノーファー選帝侯ゲオルク1世)がハノーファーばかりに関心を持ち、イギリスにほとんど関心を示さなかったことなどにより、他国の君主に比べると君主権がやや弱く、内閣や議会の力が強い傾向があった。とはいえ19世紀半ばのイギリス国王はいまだ巨大な国王大権を有しており、いざという時には強権発動が可能であった。大臣の任免、議会の招集・解散、国教会の聖職者と判事の任免、宣戦布告などは国王の大権であった。前王ウィリアム4世も自分と対立した首相メルバーン子爵を一度罷免している。彼女が受け継いだ王位とはそうした巨大な権力であった。 ヴィクトリアは即位の日の日記に「私が王位につくのが神の思し召しなら、私は全力を挙げて国に対する義務を果たすだろう。私は若いし、多くの点で未経験者である。だが正しいことをしようという善意・欲望においては誰にも負けないと信じている。」と抱負を書いている。 即位の日の引見はいずれも母の同席なしで行なった。この日以来彼女は家族絡みの会見以外はすべて一人で行うようになった。母もヴィクトリアとともにケンジントン宮殿からバッキンガム宮殿へ移っているが、ヴィクトリアは母が自分に干渉してこないよう、母の部屋を自分の部屋から遠ざけた。家令サー・ジョン・コンロイに至っては今後の目通りは一切叶わない旨を通達している。一方、レーツェンは自分の部屋の隣に留め置いて相談役として重用した。また叔父ベルギー国王レオポルドの側近であるコーブルク家臣クリスティアン・フリードリヒ・フォン・シュトックマー男爵がレオポルドとの連絡役としてバッキンガム宮殿に勤務するようになり、ヴィクトリアの新たな助言役となっていった。しかし、ベルギーに肩入れするよう求めるレオポルドの要請に対してはヴィクトリアは慎重に回避し続けた。 女王として年金38万5000ポンド、ランカスター公としてランカスター公領からの収入2万7000ポンドを受けるようになり、そのお金で父親が残した巨額の借金を返済し、何不自由ない生活を送るようになった。 翌6月21日にセント・ジェームズ宮殿で君主宣言の儀を行い、勅命によって王名を「ヴィクトリア」と定め、以降「アレクサンドリナ」は使用されなくなった。 戴冠式は即位後1年後の1838年6月28日にウェストミンスター寺院において挙行した。ウェストミンスター寺院までの道すがら、「女王陛下万歳」を叫ぶ群衆たちの中を黄金馬車(英語版)で通過した。ヴィクトリアはその日の日記に「このような国民たちの女王となることをいかに誇りに思うことか」と書いている。ちなみに、ヴィクトリアの戴冠式に合わせてオーストリアからヨハン・シュトラウス1世が到来し、ヴィクトリアは彼から『ヴィクトリア女王讃歌』というウィンナ・ワルツを捧げられた。これが端緒となって、ヨーロッパ大陸諸国に遅れること20年、ようやくイギリス社交界においてもワルツが受容されたという。 新女王の御前に跪いてその手に口づけする宮内長官カニンガム侯爵とカンタベリー大主教ウィリアム・ハウリ。 即位当日、最初の枢密院会議を開くヴィクトリア女王を描いたデイヴィッド・ウィルキーの絵画。ヴィクトリアが純白の服を着ているが、これは彼女を目立たせるためであり、実際には黒い喪服を着ていた。 ウェストミンスター寺院でのヴィクトリア女王の戴冠式を描いたジョン・マーティンの絵画 戴冠式。カンタベリー大主教から聖油(英語版)を注がれるヴィクトリアを描いた絵画。
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