自販機ポルノの黄金時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/06 22:12 UTC 版)
「Jam (自販機本)」および「HEAVEN (雑誌)」も参照 1978年秋、武蔵小山駅から深夜自宅に向かって歩いて帰る途中、電信柱の下に束になって捨ててあった自動販売機のエロ本を偶然拾い、何冊目かに掲載されていた接写ヌード写真に人生最大の衝撃を受ける。後に高杉は著書『メディアになりたい』(JICC出版局)の中でその時の感動を次のように回想している。 僕が大学を途中でやめて、毎日脳天気に遊び呆けていた時のことだ。ある日、夜中に街を歩いていると、電信柱の下に大量のエロ本が捨ててあった。ゴミ捨て場から変な物を拾って来て、部屋に飾ったりするのは、僕の当り前の日常だったが、本を拾ってくることはめったになかった。ところがその時のエロ本は、本屋では見たこともないような、信じられない色使いとデザインで、狂ったような念波を出して僕を誘惑するのだった。そしてその晩、僕は徹夜をすることになってしまった。殆どのページが写真で埋められているそれら悪魔の化身のようなエロ本群はどうやら町角の自動販売機で売られている種類の物らしかった。一点一点の写真を検討してみると、それらは全てカメラマンの意志というものの感じられない、しかしそれでいてどこかクリアーに突き抜けた所のある、だがしかし脳みそをミミズに食い荒されたような、けれども天使の光に似て、なおかつ救い難く逸脱している写真ばかりであることに気がついた。そして何冊目かの本の中に、パンティ・ストッキングを直接はいた女の下半身大アップの写真を発見して目を釘づけにされたのだった。美しい光沢に色どられたその奇妙なフェティシズムあふれる一枚の写真は、さながらゴミための中にうち捨てられたファイン・アートの様に異彩を放っているのだった。 次の日、僕はその不思議な魅力を持った写真の撮影者に会うことができた。そして、彼の属する世界が昨晩見たエロ本群の最初の印象通り、恐ろしくいい加減で、素晴らしく突き抜けた、まるでオカルト結社かアングラ劇場の楽屋のような逸脱した光の中にあることを確認したのだった。以来僕は数年間をその世界で過ごし、フェティシズムと冗談の間に横たわる簡単な方程式をわざとややこしいものに置き換える作業を続けた。そしてその作業にとても重要な役割をはたしたのがテレビの画面やふく面プロレスラー、インチキ聖書やピンヘッド、それに女物の下着やハイヒールだったというわけだ。特にリビドーを刺激したのはパンティ・ストッキングとアイラッシュ・カーラーの取り合わせで、その奇妙な感触と方程式は今でも僕の頭の中に放置されている。 ともあれ、永久に使用されない女性下着の美しさは、それらを完璧に着用して深夜の路上にうずくまる僕自身の姿と微妙なバランスを保ち続けている。女性下着は、決して良質のオブジェにはならない点にこそ秘密がある。 — 高杉弾『メディアになりたい』JICC出版局 1984年 261-263頁。 翌日、高杉は最後のページに記載されていた発行元のエルシー企画に遊びに行き、そこで社長の明石賢生、編集局長の佐山哲郎、安田邦也、カメラマンの岡克己、グラフィックデザイナーの大賀匠津らと出会い、そのままフリーの編集者になる。 高杉は後に当時を振り返って「あの一枚は一生忘れないと思うよ。これが運命の転換日だよね。あの一枚に出会わなかったら、おれは編集者にもライターにもAV監督にもなってないと思うよ」と回想している。 そして、このわずか数年の間で蛭子能収、渡辺和博、湯村輝彦、大里俊晴、末井昭、南伸坊、永山薫、高取英、亀和田武、赤田祐一、青山正明、町山智浩、手塚能理子、羽良多平吉、上杉清文、荒木経惟、滝本淳助、岡留安則、高桑常寿、平岡正明、鈴木いづみ、佐藤重臣、中村直也、松岡正剛、荒俣宏、奥成達、巻上公一、山下洋輔、秋山道男、鈴木清順、荒戸源次郎、合田佐和子、長谷川明、安西水丸、野坂昭如、大瀧詠一、長嶺高文、朝倉喬司、畑中純、坂田明らと立て続けに出会う。
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