自国文化の回復運動とは? わかりやすく解説

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自国文化の回復運動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 07:49 UTC 版)

ルーマニアの文化」の記事における「自国文化の回復運動」の解説

トランシルヴァニアでは、ルーマニア人人口大部分占めていたにもかかわらず地域一帯支配していたオーストリア人からは存在容認されるのみで、政治トランシルヴァニア議会意見反映させることはできなかった。18世紀終わりトランシルヴァニア学派 (Şcoala Ardeleană) と呼ばれる解放運動設立されルーマニア人ローマ人由来することを強調しラテン語をもとにした近代的なルーマニア文字普及させようとした。ルーマニア文字はやがて、古く用いられキリル文字に取ってわられるようになったまた、トランシルヴァニアルーマニア教会ローマ教皇のもとにつくことを受け入れ、これによってルーマニア・ギリシャカトリック教会成立した1791年オーストリアレオポルト2世対しフランス人間と市民の権利の宣言基づいてトランシルヴァニアルーマニア人に他民族同等政治的権利認めるよう要求する請願書 (Supplex Libellus Valachorum) を出した。しかし、ルーマニア人ローマ帝国だけでなく、古代ダキア人にもルーツをもっており、1600年代から1800年代にかけては、オスマン帝国ファナリオティス代表されるように、東欧影響強く受けていた。それゆえ、この解放運動徐々に西欧化としての向き強くなっていく。 18世紀終わりから19世紀のはじめまで、ワラキアとモルダヴィアは、ファナリオティス君主支配下置かれていた。したがって、この2つ地域は、ギリシャから大きな影響受けている。公国にはギリシャ語学校設置され、ゲオルゲ・ラザルやイオン・エリアーデ・ラドゥレスクが、ブカレストに初となるルーマニア語学校設立したのは1818年になってからであった当時小説家としてアントン・パンが成功したほか、イエニャチタ・ヴァカレスクはルーマニア語をはじめて用い彼の甥のイアンク・ヴァカレスクは初の本格的なルーマニア語詩を書いた1821年オスマン帝国の支配反発してワラキア蜂起発生する。この蜂起は、ルーマニア革命家民兵指導者であったトゥドル・ウラジミレスク指揮した1848年革命ルーマニア公国トランシルヴァニアにも波及し19世紀革命以降には新たな著名人出現する作家政治家ルーマニア初代首相のミハイル・コガルニセアヌ、政治家劇作家詩人ヴァシレ・アレクサンドリ記者現在の国歌作曲したアンドレイ・ムレシャヌ、歴史家・作家革命家ニコラエ・バルチェスクらがその代表である。 1859年モルダヴィアワラキア統合してルーマニア公国成立すると、ルーマニア生活様式文化統一進んだヤシブカレスト大学開設され文化施設の数も大幅に増加した1866年ルーマニア国王として即位したカロル1世芸術理解があり、妻のエリサベタとともに重要な後援者となった1863年文学批評家のティトゥ・マイオレスクは、仲間とともに文学サークル「ジュニメア(青年の意)」を設立しルーマニア王国大きな影響与えた。ジュニメアは文化雑誌文学講演 (Convorbiri Literare)』を発行しルーマニア代表する詩人ミハイ・エミネスクや、作家のヨン・クリヤンガ、小説家劇作家でもあるイオン・ルーカ・カラジアーレ多く作品発表した場として知られている。同時期にニコラエ・グリゴレスクシュテファン・ルキアンは、近代ルーマニア絵画確立した作曲家のチプリアン・ポルムベスクも当時活躍した人物である。 トランシルヴァニアでは解放運動の組織化進んだ1861年には、ルーマニア正教会大司教であったアンドレイ・サグナによって、シビウASTRAルーマニア人ルーマニア文学文化トランシルヴァニア協会)が設立された。この組織数多くルーマニア語書籍新聞に対して出版手助けし1898年から1904年にかけてルーマニア語百科事典編纂した。この時代著名な人物として作家記者のイオアン・スラヴィチ、作家パナイト・イストラティ詩人記者のバルブ・ステファニスク・デラブランチャ、詩人記者のジョルジェ・コシュブク、詩人のシュテファン・オクタヴィアン・ヨシフがいる。また、ジョルジェ・バリットとバデア・カルタンは、もともとトランシルヴァニア南部羊飼いに過ぎなかったが、トランシルヴァニアルーマニア語新聞創設し歴史家として活動するうちに、解放運動の象徴みなされるようになったC・Aロゼッティ イオン・エリアーデ・ラドゥレスク カリストラト・ホガシュ ドゥイリオ・ザムフィレスク アレクサンドル・オドベスク ヴァシレ・アレクサンドリ ミハイ・エミネスク ヨン・クリヤンガ イオン・ルーカ・カラジアーレ マテイウ・カラジアーレ イオアン・スラヴィチ ティトゥ・マイオレスク ジョルジェ・コシュブク アンドレイ・ムレシャヌ チプリアン・ポルムベスク ジョルジェ・バリット ニコラエ・グリゴレスク シュテファン・ルキアン

※この「自国文化の回復運動」の解説は、「ルーマニアの文化」の解説の一部です。
「自国文化の回復運動」を含む「ルーマニアの文化」の記事については、「ルーマニアの文化」の概要を参照ください。

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