自国史の編纂とは? わかりやすく解説

自国史の編纂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 05:45 UTC 版)

サーサーン朝」の記事における「自国史の編纂」の解説

サーサーン朝歴史についてアッバース朝時代ウラマーであるタバリーアラビア語著した諸使徒と諸王の歴史収録記事現存する通史」としては最古であり、他にはサーサーン朝歴代君主残した碑文群やマニ教文書パフラヴィー語による行政文書などの史料群、パフラヴィー語アルメニア語シリア語ギリシア語ラテン語などの年代記通貨などにより歴史実態文化などが研究されている。 パルティア語パフラヴィー文字碑文などはサーサーン朝草創期から存在しているが、現存するゾロアスター教文献などによると、古代イラン世界では文字音声物質化した賎しむべきものと見なされていたようで、古代からの伝承神官マギ)などが口伝代々受継がれていくものとされていたという。しかしながらホスロー1世時代から世界中知識集積しようというイデオロギー的な動き見られパフラヴィー文字改良したアヴェスター文字発明によりゾロアスター教文献書籍化の契機生まれた考えられている。これに関連して古代からサーサーン朝時代までの歴史編纂する動きあったようで、歴史書『フワダーイ・ナーマグ』(Χwadāy Nāmag)が製作されたと伝えられている。これが、アッバース朝時代タバリーなどのサーサーン朝史の原典となり、さらに後代フェルドウスィーなどが著した歴史叙事詩『シャー・ナーメ』ルーツとなった。 そのため、現在のイラン民族にとって、サーサーン朝直接国家的祖先と見なされている。これは近代化の影響だけでなく、そもそもサーサーン朝時代歴史など編纂し始めた王朝末期アッバース朝時代の頃には、すでにアケメネス朝時代神話化伝説化し、セレウコス朝時代パルティア時代も殆ど忘れ去られていた状態で、過去への歴史的憧憬神話時代を除くとペルシア文学ではサーサーン朝後期ホスロー1世時代が特に賞揚されてきた伝統によっている。特にホスロー1世は「公正なるアヌーシルワーン」(「不滅な霊魂」を意味する中期ペルシア語、アノーシャグ・ルワーン anōšag ruwān に由来するアラビア語訛音)とも呼ばれ統治者君主模範として仰がれた。ペルシア語通用したアナトリア・イラン高原以東地域では、フェルドウスィー『シャー・ナーメ』の他に、ホスロー2世題材にしたニザーミーの『ホスローとシーリーン』などペルシア語文芸とともにサーサーン朝時代についての知識受容された。

※この「自国史の編纂」の解説は、「サーサーン朝」の解説の一部です。
「自国史の編纂」を含む「サーサーン朝」の記事については、「サーサーン朝」の概要を参照ください。

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