自国領内の副王(同君連合を含む)
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コルシカでは1406年から1420年ごろまで、伯爵ヴィンチェンテッロ・ディストリア(Vincentello d'Istria)が名目上アラゴン王国から任ぜられた副王となっていた。 フランス皇帝ナポレオン1世は、その継子ウジェーヌ・ド・ボアルネをイタリア王国(フランスと同君連合)の副王(Viceroi d'Italie)に任じ、後にはヴェネツィア公、すなわち同国の王太子とした。しかし一方で、フランス帝国の玉座からは締め出され、それはハプスブルク家出身の皇后マリー・ルイーズとの間にもうけた息子ナポレオン2世のために残された。 ノルウェー副王はデンマーク王の下にあり、王位継承者が副王を継いでいた例の一つである。 ロシアのロマノフ家統治下ポーランドは、国王をロシア皇帝が兼ねる同君連合(1818年7月20日 - 1916年11月5日)であり、唯一人副王がいた。(在任:1815年12月9日 - 1830年12月1日)コンスタンチン・パヴロヴィチ・ロマノフ大公(1779年 - 1831年) カフカース(アルメニア、アゼルバイジャン、グルジア)は当初、1802年から1844年までトビリシの総督が治め、1844年以後、カフカース副王(Кавказского Наместника)が設けられた。(在任:1845年 - 1853年) ミハイル・セミョーノヴイチ・ヴォロンツォフ公爵(1782年 - 1856年) (在任:1853年 - 1854年) Nikolay Andreyevich Read(代理、1792年 - 1855年) (在任:1854年 - 1856年) ニコライ・ニコラエヴィチ・ムラヴィヨフ(1794年 - 1866年) (在任:1856年 - 1862年) アレクサンドル・イヴァノヴィチ・バリャチンスキー公爵(1814年 - 1879年) (在任:1862年 - 1881年) ミハイル・ニコライェヴィチ・ロマノフ大公(1832年 - 1909年); next a series of Chief Heads of the Civil Administration of the Caucasus, including several imperial princes, 1882 - 1905, then again Viceroys: (在任:1905年 - 1915年) Illaryon Ivanovich, Vorontsov-Dashkov 伯爵(1837年 - 1916年) (在任:1915年 - 1917年2月) ニコライ・ニコライェヴィチ・ロマノフ大公(1837年 - 1929年)
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