経済行為としての「糾弾」
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「確認・糾弾」の記事における「経済行為としての「糾弾」」の解説
人に金品を要求し「出さないと糾弾するぞ」と脅迫するやり方は、水平社時代から「事件解決主義」といわれて問題になっていた。菊池寛は『父帰る』の中で「穢多」の語を用いたため、1927年に水平社の糾弾を受け、1000円(当時の金額)をゆすり取られている。なお1931年当時の内閣総理大臣の給料が800円であった。永井荷風によると、菊池寛は警察に訴えたものの「水平社黒龍会その他かくの如き暴力団に対しては警察署も施すべき道なく、金にて済むことならばそのやうになすがよし」と内談されたという。大正後期から昭和初期にかけての部落差別糾弾事件である弓削事件や倉敷市名田火葬場事件は、いずれも金銭で裏取引されたといわれ、その相場はいずれも当時の金額で500円であった。弓削事件で糾弾にあたった水平社幹部は、脅し取った金を使って遊郭で豪遊したと伝えられる。倉敷市名田火葬場事件で市の行政当局から500円を受け取ったのは、大源実(のちの部落解放同盟岡山県連合会委員長)らであったとされる。戦後の事例として、松本清張は小説『眼の壁』(1957年)をめぐり部落解放同盟から糾弾を受け、部落解放同盟幹部に50万円支払ったことがある。 今日、部落解放同盟から糾弾を受けた企業は年間16万円から23万円の会費を徴収されて「同和・人権問題企業連絡会」(同企連)への加入を要求され、部落解放同盟の研究集会や糾弾会(糾弾側)への参加、「人権擁護法」制定運動への協力、部落解放同盟員の講師による有料の「人権啓発講演」の開催、同和研修の教材の購入を求められる。大阪同企連の場合、企業144社から年間2800万円程度を集めている。同種の組織に「同和問題にとりくむ宗教教団連帯会議」(同宗連)、「出版・人権差別問題懇話会」「人権マスコミ懇話会」などがある。このような点から、「糾弾会は、結果として同企連の会員数を増やすための企業への“営業活動”の一つ」との批判を受けることもある。 北九州土地転がし事件では、「地名総鑑」事件で糾弾されて自殺者を出した三菱鉱業セメントの土地を部落解放同盟小倉地協書記長(当時)が自らのダミー不動産会社「太陽興産」を介して安価に入手し、実態のない不動産業者をでっち上げたり、市職員の名義を使ったりするなどの手口で1ヶ月のうちに地価を約2倍に釣り上げてから、北九州市と同市住宅供給公社に対して「買わねば糾弾するぞ」と脅して高額で買い取らせた行為が問題となり、同書記長は国土利用計画法違反の罪で罰金刑を受けた。この地上げ行為による同書記長の取り分は13億3000万円にのぼった。同書記長はまた、一連の地上げ行為による利益を税務申告しなかった脱税の容疑で告発を受け、追徴課税を受けている。 このほか、部落解放同盟京都府連合会は解放センター建設資金のカンパを、みずから糾弾した企業から徴収して問題となり、部落解放同盟東京都連合会の幹部数人は、「地名総鑑」糾弾闘争を通じて「地名総鑑」購入企業の顧問や相談役に就任し、やはり問題となった。 1976年12月、但陽信用金庫による「部落地名総鑑」購入が発覚した時は、部落解放同盟兵庫県連合会(当時、小西弥一郎派と丸尾良昭派の二つに分裂していた)が南但広域行政(代表は岡村大屋町長)に「部落解放のための調査研究、学習活動費助成要求書」を提出し、「部落民としての自覚の確立」を図るための費用として750万円を請求した。これに先立つ1974年1月に兵庫県職員が子息に結婚差別の手紙を送ったとされる事件が起きた際には、部落解放同盟兵庫県連合会は糾弾闘争費として行政に3000万円を要求し、1500万円の支給を受けた。 この間の事情について、部落解放同盟員は「将棋のコマや思ってくださったらええねん。将棋の場合は相手のコマを取ったらそれをまた今度は自分のコマで使うでしょう。そういうことなんですね」と説明している。このため、人権連の側では部落解放同盟そのものを「えせ同和行為の本家」と批判している。 「北口末広#在日コリアン人権協会との争い(北口裁判)」も参照
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