第502重戦車大隊とは? わかりやすく解説

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第502重戦車大隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/19 14:37 UTC 版)

第502重戦車大隊
Schwere Panzer-Abteilung 502
大隊のシンボルであるマンモス
創設1942年 - 1945年
国籍ドイツ国
忠誠ドイツ国
軍種陸軍
兵科装甲・対戦車
兵力大隊
上級部隊ドイツ国防軍陸軍
主な戦歴第二次世界大戦

第502重戦車大隊(ドイツ語: Schwere Panzer-Abteilung 502)は、ドイツ国防軍陸軍に存在した重戦車大隊である。初めてティーガーIを受領し部隊編成した大隊であり、東部戦線を中心に1400両以上の戦車を撃破する戦果を上げた。

概要

編成

1942年5月25日バンベルクにおいて第35戦車訓練大隊から派生する形で組織された。

第502重戦車大隊が組織されて間もない7月23日アドルフ・ヒトラーティーガーIレニングラードに投入するよう命令を発した。この命を受け、8月19日20日の2日にかけて4両のティーガーIが大隊に配備された[1][2]8月29日に大隊はレニングラードに到着、初めてティーガーIが実戦投入された。

運用

第502重戦車大隊のティーガーIは1942年9月16日ラドガ湖南部で初めて戦火を交えた[3]。しかし、9月22日に大隊のティーガーIは悪路で立ち往生するなどしたため敵の砲撃を受けてしまい、このうち1両が回収不可能となってしまった。このティーガーIは敵側に情報が渡るのを防ぐため、11月25日に破壊されている[1]9月25日には新たなティーガーIやIII号戦車などが到着し、大隊は立て直された。

1942年12月になると、それまで第1中隊のみであった第502重戦車大隊に新たに第2中隊が編成されたが、第1中隊とは異なりドン軍集団戦区に派遣された[4]。この第2中隊は翌1943年1月末頃に、同じ戦区に派遣されていた第503重戦車大隊に第3中隊として編入された[4]

1943年1月14日イスクラ作戦を展開中だったソ連軍が第502重戦車大隊のティーガーIを1両撃破し、鹵獲した。さらにその数日後、もう1両のティーガーIも鹵獲されている。2両のティーガーIは即座にクビンカ装甲車両中央研究所に運ばれ、対抗手段を得るために徹底的に研究された。

1943年4月1日、第1中隊のみとなっていた第502重戦車大隊に第2中隊と第3中隊が組織された。5月後半までに大隊には31両のティーガーIが配備されており、前述のような戦果を上げる要因となった。6月に重戦車大隊の部隊編成に変更があり、第502重戦車大隊第1中隊もそれまでのティーガーIとIII号戦車の混合形態から、ティーガーIのみの編成へと変化している。

第502重戦車大隊のティーガーI。(ラドガ湖付近、1943年8月)

第502重戦車大隊は1943年7月から9月までラドガ湖付近に[5]、11月から12月はネヴェルに拠点を置き、レニングラードから退却するドイツ軍の援護を行った。1944年2月からはナルヴァ軍集団としてナルヴァの防衛に当たった[6]。4月にはプレスカウに、7月にはダウガフピルスに移り戦闘を繰り広げた[7][8]

ティーガーIIも第502重戦車大隊に配備されたが、終戦間際でもありその数は僅か8両にとどまっている[9]

再編

1945年1月5日、第502重戦車大隊は第511重戦車大隊(ドイツ語: Schwere Panzer-Abteilung 511)に再編された。ティーガーIIが不足していたため、ティーガーIやヘッツァーなどが補填に回されている。大隊は独ソ戦に従軍したが4月27日に解散し、5月9日にソ連軍へ降伏した[10]

第502重戦車大隊は大戦を通じて105両のティーガーIと8両のティーガーIIが配備され、1,400両以上の敵戦車、2,000門以上の敵火砲を撃破した[11][12]

歴代司令官

  • メルカー少佐 (1942年8月 - 11月)
  • ヴォルシュラーガー大尉 (1942年11月 - 1943年2月)
  • リヒター少佐 (1943年2月 - 7月)
  • シュミット大尉 (1943年7月 - 8月)
  • ラング大尉 (1943年8月 - 10月)
  • ヴィリー・イェーデ少佐 (1943年10月 - 1944年3月)
  • シュヴァナー少佐 (1944年3月 - 8月)
  • フォン・フェルスター大尉 (1944年8月 - 1945年4月)

脚注

  1. ^ a b Doyle and Jentz. Tiger I Heavy Tank, p. 21
  2. ^ Schneider pp. 3–4
  3. ^ Klages, p. 4
  4. ^ a b ミリタリーディテールイラストレーション ティーガーI 初期型, 遠藤 慧, 新紀元社, 2013年, ISBN 978-4775311042
  5. ^ Schneider pp. 76–77
  6. ^ Schneider pp. 79–81
  7. ^ Schneider pp. 81–82
  8. ^ Schneider pp. 82–83
  9. ^ Doyle and Jentz. Kingtiger Heavy Tank, p. 39
  10. ^ Schneider, p. 112
  11. ^ Klages, p. 9
  12. ^ Schneider, p. 92

参考文献

  • Doyle, H. and Jentz, T. Kingtiger Heavy Tank, 1942–1945. Osprey Publishing, 2002.
  • Doyle, H. and Jentz, T. Tiger I Heavy Tank, 1942–1945. Osprey Publishing, 2003.
  • Klages, R. Trail of the Tigers. Lyonsbrook Publishing, 2002.
  • Schneider, W. Tigers in Combat I. Stackpole Books, 2004.

第502重戦車大隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 15:14 UTC 版)

オットー・カリウス」の記事における「第502重戦車大隊」の解説

レニングラード包囲戦」も参照 1943年1月カリウスは第500補充大隊異動した。この補充大隊新鋭ティーガー戦車搭乗員練成する部隊であった訓練終了後カリウスは第502重戦車大隊第2中隊配属された。1943年7月22日、第2中隊東部戦線投入された。カリウス率い小隊ラドガ湖周辺戦闘出撃9月末まで地域における主導権争いソ連軍戦闘続けた。この戦い消耗戦となり、両軍とも勝利得られなかった。やがてラドガ湖の広い範囲戦線膠着しカリウス部隊には攻撃命令発令された。ネーヴェリ周辺ソ連軍侵攻、ヴェリキーエからヴィテブスク間の街道交通確保する必要があった。この時期中隊長異動となり、フォン・シラーが副官から新たに中隊長となった。ネーヴェリ周辺湿地帯であったソ連軍はこれを突破し侵攻した11月4日街道確保あたったカリウス街道前進してくるソ連戦車隊12輌と遭遇、間の悪いことカリウス戦車は右の履帯修理であった全員戦車飛び乗り、60mの至近距離から最初車輌砲撃してこれを撃破したカリウス搭乗員にとって幸いなことにソ連軍戦車隊はこの修理中のティーガー放棄車輌判断していたため、攻撃されるとは予測していなかった。この一撃で敵戦車隊パニック起こし10輌の戦車撃破された。11月7日、さらに街道攻撃してきた敵戦車の5輌中3輌を撃破。敵戦車隊ソ連軍から見て右手の丘に設置され88mm高射砲ばかりを警戒していたため、カリウス戦車僚車気付かなかった。残余高射砲破壊した同日夕刻周辺攻撃戦車4輌と20mm4連装対空機銃3台の支援のもとに夜襲行ったティーガーソ連対戦車砲3門を撃破ドイツ軍こののち戦線整理し後退した11月10日カリウスはプガーチィナで反撃浸透してくるソ連軍叩いた。この途中放棄され88mm高射砲を2門見付けてこれを爆破処分した野砲によりティーガーが1輌破損したティーガー移動中、前を横切った騎馬兵の馬が、エンジン音驚いて暴れ出しカリウス戦車がこれを轢いてしまった。馬には止めを刺さねばならなかった。翌日からしばらく馬肉食事供された。ソ連歩兵が4輌の戦車と共に攻撃発起カリウスはこれを撃退。4輌とも撃破11月25日歩兵支援を行う。この戦闘ヨハンマイヤー大隊長狙撃され重傷負った12月2日、ゴールシカ周辺高地一帯攻撃ソ連軍正確な迫撃砲火で迎撃した。ティーガー橋梁渡れず、カリウス工兵指揮官大尉補強要請する拒否された。砲火の続く中、さらに大尉自説曲げず頑強に補強拒否したため、ティーガー工兵大尉目前深々と泥沼にはまり込んだカリウスは額を負傷工兵大尉カリウス詫びた上で夜間補強した。翌早朝ティーガー地雷原通過し攻撃に出るも、敵の対戦車銃対戦車砲砲撃阻止された。夕刻カリウスティーガーラジエーター破損し後退した12月12日から14日ティーガー中隊はローヴェツにて陽動街道何度も往復し大部隊がいるよう見せかけた。12月16日ソ連軍攻撃発起カリウスらのティーガー中隊は敵戦車多数破壊しソ連歩兵進撃阻止した。さらにクラーマー伍長戦車砲敵機撃墜した襲来ルート沿って戦車砲を向け、カリウス指示によりクラーマー発砲。2発目が敵機の翼を直撃し撃墜したこののちカリウスティーガーロケット弾1発を被弾するも無傷であった。ネーヴェリでは戦線維持することが困難になり、部隊後退したカリウス達は街道後退する歩兵砲兵援護し、これ以後街道を塞ごうとする敵を排除し続けた

※この「第502重戦車大隊」の解説は、「オットー・カリウス」の解説の一部です。
「第502重戦車大隊」を含む「オットー・カリウス」の記事については、「オットー・カリウス」の概要を参照ください。

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