第101空挺師団到着とは? わかりやすく解説

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第101空挺師団到着

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 04:01 UTC 版)

バルジの戦い」の記事における「第101空挺師団到着」の解説

増援命じられた第18空挺軍団の2個師団のうち、先行した第82空挺師団パイパー戦闘団急進撃に対応するため北部要衝ウェルボモン(フランス語版)に派遣され第101空挺師団バストーニュ送られた。増援命令受けたとき、第101空挺師団マクスウェル・テイラー少将アメリカ本国帰国中で、副師団長多く師団幕僚打ち合わせのためイギリスにおり、部隊にいたのは師団砲兵指揮官アンソニー・マコーリフ准将だけであった一刻を争うため、マコリーフは急遽師団長代理任じられると、380輌のトラック分乗し第101空挺師団将兵率いてバストーニュ向かっている。もっとも先行した501空歩兵連隊出発した12月18日中の真夜中にバストーニュ到着し、他の3個連隊翌朝9時までにはすべて到着したバストーニュには第101空挺師団の他に、第10機甲師団のB戦闘部隊と第28歩兵師団残存部隊と第8軍団の予備戦力が配置されていたが、第10機甲師団のB戦闘部隊は、第8軍団長ミドルトン命令で3隊に分割されバストーニュ通じ道路上拠点配置されていた。ヘンリー・チェリー中佐率いチェリー隊にはロンヴィリー(フランス語版)、ジェームズ・オハラ中佐率いオハラ隊にはワルディン(フランス語版)、ウィリアム・デソブリー少佐率いるデンブリー隊にはノーヴィル(フランス語版)を守らせていた。また、第8軍団の予備戦力のなかには705駆逐戦車大隊英語版)の新鋭駆逐戦車M18ヘルキャットもいた。M18ヘルキャット貫通力優れ長砲身76砲を搭載し速度ドイツ軍のどの戦車より速く今までドイツ軍戦車苦戦してきたアメリカ軍にとって大きな戦力になると期待された。また、M59 155mmカノン砲通称ロング・トム)2個大隊合流しており、その長射程防衛線のどの場所にも支援砲撃ができるようになっていた。 休む間もなくマコーリフバストーニュ孤立化を防ぐため、周囲拠点防衛積極的に部隊派遣したバストーニュ北方のノーヴィルではデンブリー隊が守りについていたが、12月19日午前4時西方向かって進撃していた第2装甲師団主力攻撃してきた。デンブリー隊のM4戦車15輌と1,000人の兵力に対して第2装甲師団80輌の戦車と7,000人の兵員擁しており、マコーリフは第506空挺連隊第1大隊救援に向かわせ、同時に705駆逐戦車大隊M18駆逐戦車4輌も支援向かっている。デンブリー隊は圧倒的な第2装甲師団に対して立ち込めていた濃霧助けもあってどうにかノーヴィルを確保していたが、強力なドイツ軍戦車に2輌のM4が撃破されるなど苦戦していた。そこにM18救援到着し晴れ間見てドイツ軍戦車砲撃し9輌を撃破し撃退したその後到着した506空挺連隊第1大隊とデンブリー隊は第2装甲師団何度も攻守変えて激戦繰り広げた昼過ぎには16輌の戦車支援され装甲歩兵1個大隊がノーヴィル市街突入してきたが、空挺兵バズーカ応戦大損害を被りながらも戦車5輌を撃破しドイツ軍の攻撃再度撃退したその後第2装甲師団は数輌の戦車歩兵随伴させて断続的に攻撃繰り返し市街でM4やM18との戦車戦が行われた。戦闘夜を徹して行われた激しいものとなったが、激戦の中でティーガーⅠ戦車88砲が戦闘指揮所着弾し、第506空挺連隊第1大隊長ジェームズ・ラプラード中佐戦死し、デンブリー隊指揮官ウィリアム・デソブリー少佐重傷負った圧倒的な第2装甲師団に対して寡兵善戦続けるノーヴィル守備隊であったが、第8軍団長ミドルトンバストーニュ孤立を防ぐためとして、ここでも死守命令出した。しかし、バストーニュとノーヴィルの中間にあるフォイ英語版)がドイツ軍奪われ、ノーヴィルが孤立化する懸念高まったため、翌12月20日にマコリーフはノーヴィル守備隊撤退フォイ奪還命じ支援に第506空挺連隊第3大隊送ったフォイはノーヴィルとバストーニュからの攻撃奪還したが、一連の戦闘で第506空挺連隊212人の死傷者出し、デンブリー隊は15輌のM4のうち11輌を撃破され、第704駆逐戦車大隊M18は4輌すべて撃破されていた。一方でドイツ軍30輌の戦車撃破され800人の死傷者被り第2装甲師団2日足止めされた。 装甲教導師団チェリー隊と第9機甲師団B戦闘部隊わずかな生き残り守備するロンヴィリーに向かって進撃していた。師団長フリッツ・バイエルライン中将アメリカ軍退路を断つため、前衛部隊をロンヴィリーの背後のマゲレット(フランス語版)に前進させていた。チェリー隊は戦力3分割してロンヴィリーの守りについていたが、背後のマゲレットに装甲教導師団迫っていると聞くと、慌ててその迎撃向かった。しかし、ドイツ軍の戦力強大であると判明する迎撃諦めて第9機甲師団生き残りと共に、第10機甲師団B戦闘部隊戦闘指揮所があるネッフェ(フランス語版)に撤退することとし、その殿をハイデューク中尉率いるM4とM3軽戦車合計17輌と戦車同数M3ハーフトラック任せたが、ハイデューク隊が撤退する前に装甲教導師団本隊襲い掛かった激し準備砲撃その後の第559戦車駆逐大隊ヤークトパンター攻撃で、17輌の戦車ハーフトラック全滅し、ロンヴィリーは装甲教導師団攻略された。次に装甲教導師団オハラ隊が守るワルディンにも進撃したので、マコーリフは1個中隊を増援送ったが、市街に入る前の路上装甲教導師団戦車遭遇して戦闘となり壊滅的な損害受けたオハラ隊も出撃したがドイツ軍戦車捕捉することができなかったので、そのままネッフェ方面撤退し、ワルディンも装甲教導師団占領された。 チェリー隊が撤退したネッフェにもマコーリフは第501空連隊から抽出した1個大隊基幹とする増援送り込んだ増援空挺部隊チェリー隊と協力して装甲教導師団進撃撃退したが、空挺部隊配備していたM101 105mm榴弾砲特殊な発射音聞いた装甲教導師団戦車砲発射音誤認しアメリカ軍戦車隊増援到着したとして進撃停止してしまった。師団長のバイエルラインはロンヴィリーを攻略したのち一気に第47装甲軍団全軍持ってバストーニュ攻略すべきと軍司令官マントイフェル進言していたが、西方への進撃主目的として進言却下されていた。そのため、バイエルラインは無理をしてまでバストーニュ接近する要はないと判断し、一旦進撃停止したのであるが、この時点ではバストーニュ防備固まっておらず、のちにマントイフェルバストーニュ攻略好機逃した後悔することになった

※この「第101空挺師団到着」の解説は、「バルジの戦い」の解説の一部です。
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