第1回 東京&いわき大会
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「マンガサミット」の記事における「第1回 東京&いわき大会」の解説
期間:1996年9月13日-9月16日 テーマ:マンガで創ろう明日のユートピア 場所:東京都及び福島県いわき市 参加国:日本・韓国・台湾・香港・中国 1993年、ストーリーマンガ50年を記念し、アジア各地域の漫画家たちとの親交を土台としたマンガ文化発展の可能性を模索するイベントとして企画された。韓国、香港、台湾、中国の漫画家にも参加を要請し、「マンガを通じた文化交流のは花を咲かせよう」という計画が誕生した。その基本計画では「各国のマンガ事情を知り、研究し、マンガ文化を支えあうことを理想とする」、「当初は東アジア地域を対象とするが、将来は全アジア、世界へと対象を拡大する」、「第1回は日本で開催し、その後は各地域の輪番開催とする」、「毎年開催を理想とするが、事情に応じて開催する」、「各国の運営は開催地の漫画家が担当する」という基本方針が決定された。 日本側の運営窓口であるが、当初は日本漫画家協会に打診したが、当協会は文化庁認可の社会事業団体であり、イベントに対する協賛企業の手当てや出資の保証ができないことから、当時発足準備中であったマンガジャパンがマンガにおける国際交流活動をその理念に含むことから正式にマンガサミットの窓口に決定した。しかし会員の漫画家にマンガサミットへの協力を強制してはならないという理由から、会員の中から有志を募り「マンガサミット実行委員会」を立ち上げ、大会議長には石ノ森章太郎、事務局長を里中満知子とし、会員漫画家がボランティアで大会開催準備に着手する体制が構築された。 1996年9月、第1回マンガサミットは東アジアMANGAサミット'96として「マンガは世界の共通語」をテーマに開催された。9月13日に恵比寿ガーデンプレイスにおいて福島県いわき市長であった岩城光英(当時)が名誉議長として開会式が開催され、その後各国・地域の代表によるパネルディスカッション「MANGAシンポジウム」が開催された。小学館の白井勝也による司会進行の下、弘兼憲史、山野勝(講談社)、黄玉郎(香港)、朴基埈(韓国)、呂墩建(台湾)、王庸建(中国)による各地域のマンガ事情の報告が行われた。翌日参加者はいわき市へ移動、9月16日までの期間中、いわき明星大学を会場に「マンガと表現」、「マンガとメディア」、「マンガと教育・地域振興」の分科会を開催、より専門的な内容の討議が行われ、その様子は一般にも公開された。また一般参加者向けにはマンガ教室、サイン会、パソコン教室(Macを使用したデジタルマンガ)などのイベントも開催されている。 また作品展示として日本人漫画家210名、韓国、台湾、香港、中国の漫画家100名の作品を展示した「東アジアMANGA原画展」が9月1日から9月29日までいわき市立美術館で開催、ロビーには手塚治虫の特別コーナーが設置され、日本のストーリーマンガ50年を象徴する構成とされた。展示作品はその後日本語と英語による原画展画集として製作され、原画展と画集政策は以降のマンガサミットに継承されていくこととなった。 9月16日の閉会式では下記の「MANGA宣言」が採択され、体調不良でマンガサミットを欠席した石ノ森章太郎に代わり、評議員であったちばてつやにより宣言された。 私たち「MANGAを愛する人間」は、人間の普遍的な真理を、感動的で、楽しく、そして、なにものにもしばられない自由な表現で描き、多くの人々と夢をわかちあえる平和な世界を築くために努力をし続けます。 私たち「MANGAを愛する人間」は、あらゆる言語、民族の違いを超えて、理解し合い、MANGAが心と心を愛をもって結びつける、大きなメディアであることを確信します。 私たち「MANGAを愛する人間」は、東アジアと日本の交流の成果を踏まえ、さらなる交流の輪を呼びかけ、「世界MANGAサミット」の実現に向けて努力します。 同時にマンガサミットの理念を継承すべく、次回大会を翌年韓国で開催することが決議され閉会した。
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