第三次北伐とは? わかりやすく解説

第三次北伐

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 13:45 UTC 版)

桓温」の記事における「第三次北伐」の解説

太和4年369年)、全軍挙げて北伐請う上疏を再び出した3月北府軍を統括していた平北将軍・徐兗二州刺史郗愔は桓温手紙送り、共に協力して王室補佐することを呼びかけ桓温には河上より兵を率いて出撃する要請した。だが、郗愔の領する北府軍は勇猛であったので、桓温は郗愔に要衝である京口掌握されるのを嫌がった。郗愔の子郗超桓温参軍であったので、これを利用して信頼落とそう謀り老病の為閑職に就いて休養したい、という旨の手紙を郗愔の名義使って偽造した。これにより郗愔は会稽内史に改任となり、代わって桓温平北将軍・徐兗二州刺史職務任された。こうして北府軍をも併合し東晋実権を完全に掌握した4月江州刺史南中桓沖豫州刺史西中郎袁真らを従え歩兵騎兵合わせて5万率いて北伐敢行して前燕侵攻した百官はみな南州において宴を催して桓温成功祈り全ての都市彼の動向注目したという。郗超陸路で進む事を勧めたが、桓温水路より軍を進めた6月桓温金郷まで軍を進めると、大きな旱魃起こり水路使えなくなっていた。その為、鉅野から三百里余りを切り開き引き込んで舟運を通すと、清水から黄河入った郗超桓温建議して、全軍でもって前燕国都の鄴城へ真っ直進撃し、また兵を分けて河道堅守することで輸送路を確保して食料蓄え翌年の夏になるまで攻勢掛け続けるべきであると進言した。しかし桓温はこれを聞き入れなかった。その後、建威将軍玄に湖陸攻撃させ、これを陥落させて寧東将軍慕容忠捕らえた前燕皇帝慕容暐慕容厲征討大将軍任じて2の兵を与えて迎撃させたが、桓温はこれに大勝した。これにより、前燕高平郡太守徐翻は郡ごと降伏した。さらに、桓温鄧遐朱序派遣して前燕将軍傅顔破った慕容暐はさらに安楽慕容臧迎撃させたが、桓温はこれも返り討ちにした。その為、慕容臧散騎常侍李鳳前秦派遣して救援要請した7月桓温武陽駐屯すると、前燕の元兗州刺史孫元が一族郎党率いて帰順してきた。桓温はさらに枋頭まで進んだ慕容評大い恐れ慕容暐伴って龍城撤退すると共に慕容臧に代わって慕容垂総大将命じ、征南将軍慕容徳副官として5万の兵を与えて桓温を防がせた。また、前秦虎牢以西の地を割譲する事を条件援軍要請した8月前秦要請応じ将軍苟池・洛州刺史鄧羌へ2の兵を与えて潁川派遣した桓温前燕からの降将である段思を嚮導にしていたが、前燕将軍悉羅騰攻撃により捕らわれとなったまた、桓温はかつて後趙将軍であった述を魏・趙方面侵攻させていたが、悉羅騰配下虎賁中郎将染干津に敗れた。 これより前に桓温石門開いて水運を通すため、袁真に命じて攻略に向かわせていた。8月、袁真は譙平定する石門を開く事が出来ず次第に晋軍の兵糧が底を突き始めた9月慕容徳劉当と共に1万5千の兵で石門駐屯し豫州刺史李邽五千の兵で桓温糧道断ったまた、慕容徳軍の先鋒慕容宙は200騎で東晋軍を攻撃し残りの兵800騎を三方伏せた東晋軍は200騎の兵に誘き寄せられ、伏兵奇襲により大打撃受けた兵糧不足しているのに加え前秦から援軍到来しているとの報を受けたので、桓温は舟を焼き払い輜重武具放棄して陸路退却始めた。東燕から倉垣出て陳留経由し井戸掘って飲み水確保しながら、七百里余りを行軍した慕容垂騎兵八千率いて桓温軍に追撃掛け桓温襄邑敗れて戦死者3出した前秦将軍苟池も焦において桓温軍を攻撃し桓温軍は1万被害受けた。孫元は武陽逃走したが、前燕の左衛将軍孟高により捕らえられた。 10月桓温山陽まで退却する敗残兵収集したまた、この敗戦大い恥じ、その罪を全て真に帰し、彼を廃して庶人に降とすよう上表した。袁真は桓温誣告されたと知り大い怨み寿陽拠点構えると、密かに苻堅慕容暐内通するようになった

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第三次北伐

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/24 15:27 UTC 版)

陳倉の戦い」の記事における「第三次北伐」の解説

陳倉の戦い直後229年春、諸葛亮陳式命じて武都陰平の2郡を攻めさせた。これに対して魏の郭淮救援向かったが、諸葛亮自身武都郡の建威に出撃して彼の退路断とうとしたので撤退した陳式無事に武都陰平制圧した。この時期武都郡太守務めていた韋誕どのような行動をとったのかは記録されていない戦後、この功績により劉禅は、詔を下し街亭の役の責任は、馬謖にあり、このたび王双を斬り、郭淮遁走させ、氐羌の集を降し、また2郡を興した功績は明らかである」として、諸葛亮丞相復帰させた。

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