第三次入植 (1852年以降)と保全計画
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「キングストンとアーサーズ・ヴェールの歴史地区」の記事における「第三次入植 (1852年以降)と保全計画」の解説
一方、イギリス本国は、1852年に、ピトケアン諸島に住む住民の移住先として、ノーフォーク島を候補地としてあげた。背景には、ピトケアン諸島の人口増大がある。ピトケアン諸島の住民がノーフォーク島に移住したのは、それから、4年後の1856年6月8日である。移住したピトケアン諸島の住民は、キングストンに残っていた住居に居住を開始した。最初期の第三次入植時代は、残っていた住居を再利用していたため、新たに、住居を建設する必要性が無かった。旧ピトケアン諸島の住民が、ノーフォーク島で行った最初の大規模な建設は、1870年の教会の建設である。一方で、1870年代から1880年代にかけて、かつての多くの建築物が急速で荒廃していった。 19世紀の最後の20年は、キングストンで大きな変化が起きなかった時代である。とはいえ、一部の建物においては、リノベーションが実施された。例えば、捕鯨用に改築された建物もある。1901年1月1日、オーストラリアがイギリスのコモンウェルスの1つとなると、ノーフォーク島の統治は、ニューサウスウェールズ州に移管された。1908年には、キングストン市街地で大火が発生した。 キングストンに残る囚人が建造した建築物の再建は、1920年代に開始された。もっとも、歴史地区の重要性が再認識され、多くの建築物が再度、整備されるのは、1950年代を待たなければならなかった。1962年に、保存のための条例が制定され、1960年代から1970年代にかけて、再整備が進んだ。1980年には、「キングストンとアーサーズ・ヴェール歴史地区保存マネジメント計画」(Kingston and Arthur’s Vale Historic Area Conservation Management Plan)が策定された。
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