第三次包囲とは? わかりやすく解説

第三次包囲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/05 15:07 UTC 版)

シュヴァイトニッツ包囲戦 (七年戦争)」の記事における「第三次包囲」の解説

オーストリア軍指揮官エルンスト・ギデオン・フォン・ラウドン1761年9月にシュヴァイトニッツ要塞を再び包囲した9月30日1757年包囲成功させたカール・フォン・アマダイ(ドイツ語版)はクンツェンドルフ・バイ・シュヴァイトニッツ(英語版)の集結し、翌10月1日の朝2時に4列で要塞強襲した。アマダイ軍は激し抵抗はねつけてアウトワークを占領ランパート英語版)も登りきった。守備軍の指揮官レオポルト・フォン・ツァストロー(ドイツ語版)は降伏せざるを得なかった。戦闘によりプロイセン軍捕虜3,776人、負傷者1,000人以上を出し大砲211門と大量食料弾薬奪われた。

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第三次包囲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/09 16:36 UTC 版)

コルベルク包囲戦 (七年戦争)」の記事における「第三次包囲」の解説

1760年ロシアのポンメルンにおける春季攻勢指揮したトートレーベンが反逆罪犯してフリードリヒ2世ロシア1761年に三たびコルベルク包囲しようとする計画明かしたフリードリヒ2世要塞への補給命令メクレンブルクスウェーデン軍戦っていた フリードリヒ・オイゲン・フォン・ヴュルテンベルクを引き上げさせた。 ヴュルテンベルク7月4日コルベルク着き増強された守備1万2千を指揮したロシア軍指揮官ピョートル・ルミャンツェフ(英語版)は6月23日近くのケスリーンで軍を止め補給待っていた。ヴュルテンベルク時期が合うとルミャンツェフを攻撃するつもりでいたが、フリードリヒ2世危険すぎるとして却下された。8月中旬援軍3,000がルミャンツェフと合流すると、彼は22日コルベルク包囲した。 この時点ではロシア23隻がルミャンツェフを支援しており、これにスウェーデン船8隻が後に加わったロシアスウェーデン砲撃8月25日から9月25日まで続いた9月18日、ルミャンツェフはヴュルテンベルク守備軍を強襲したが、3,000損害出しただけで失敗終わったため、彼は強襲をやめてコルベルクへの補給遮断する策に出た9月30日、ドゥビスラフ・フォン・プラーテン率い数千プロイセン軍コルベルク増援し、守備軍が2万人近くになった10月9日ロシア艦隊荒天ロシアへ帰ってしまったためルミャンツェフは艦隊支援失ったが、代わりにアレクサンドル・ブトゥルリン(英語版)の増援得た。グスタフ・ベルク率いるブトゥルリン軍の騎兵部隊プロイセン連絡線切断出撃したヴュルテンベルク騎兵部隊撃破し多く捕虜にした。 コルベルク補給が切れそうになったため、プラーテン軍は10月末にベルリンへ撤退命令された。11月ヴュルテンベルク城外ロシア軍突破してプラーテン軍と合流後ろからロシア軍打撃与えようとした。それが失敗すると、プラーテンは命令通りベルリンへ撤退ヴュルテンベルクは再びロシア軍突破して城内戻ろうとした。彼は何度試したが、12月12日最後試みコルベルクから南数キロにあるシュピー英語版)で撃退され、1千の損害出してしまうと、ヴュルテンベルク残り軍勢8千とともにシュテッティン撤退した12月16日コルベルクがルミャンツェフに降伏したことでロシア軍プロイセン領ポンメルン州(英語版)で冬営することができた。また、フリードリヒ2世はプラーテン軍がコルベルク包囲解いた後にシュレージエンでの戦闘加勢することを期待していたが、ルミャンツェフ軍がプラーテン軍を釘付けにしたことでそれが出来なくなり、プラーテン軍が離れる頃にはシュレージエン加勢して戦況にさほど影響できなくなった。そのため、フリードリヒ2世代わりにベルリンへ戻るよう命令した

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