第三次合戦とは? わかりやすく解説

第三次合戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 08:51 UTC 版)

バタビア沖海戦」の記事における「第三次合戦」の解説

0116、重巡三隈水上偵察機1機を射出した。三隈艦長崎山釈夫大佐報告によれば全機発進命じたものの、2号機3号機接触事故起こし1号機しか発進できなかったという。0119、第七戦隊三隈最上敷波)が戦闘参加する。まず、距離11,200mから七戦隊三隈最上)はそれぞれ6本(計12本)の魚雷発射するが、そのまま直進するバビ島にぶつかるため、左に反転した。0122、距離11,000mで照射砲撃開始連合軍艦隊2番艦(ヒューストン)に砲撃集中したヒューストン次々と命中弾を受け次第速力低下し始めた。しかしここで三隈の主接断器に故障生じ探照灯等の電気系統麻痺主砲射撃出来なくなった三隈続行する最上の砲撃続け、0127に魚雷6本を発射する三隈電気系統故障は0130に復旧、「我今ヨリ敵ノ止メヲ刺ス」と全軍電報したのち、2番艦(ヒューストン)に9,000mから照射砲撃開始した。第5駆逐隊敵艦からの砲撃悩まされつつ、戦闘続けた春風は0126に魚雷6本をパースに向け発射、2分後に命中おぼしき水柱確認した。ただし古要(春風艦長)は、発射した魚雷日本軍輸送船団方に疾走した回想している。旗風は0128に距離3,800mから魚雷6本を発射朝風と共に西方避退した。第12駆逐隊敵艦接近叢雲は0130-0132に魚雷9本を発射つづいて照射砲撃実施した名取は0130に距離8,000mで照射砲撃開始、さらに第11駆逐隊、第12駆逐隊、第5駆逐隊呼び寄せて0200までに単縦陣形成すると、南進してヒューストン目指した。日本側では敷波至近弾によりスクリュー軽微な損傷受けた

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第三次合戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 02:06 UTC 版)

川中島の戦い」の記事における「第三次合戦」の解説

第三次合戦は、弘治3年1557年)に行われ上野原の戦いとも言う。武田晴信北信への勢力伸張反撃すべく長尾景虎出陣するが、武田晴信決戦避け決着は付かなかった。 弘治2年1556年6月28日越後では宗心(景虎)が出家隠遁を図る事件起きている。上杉景虎長尾政景らの諫言家臣団忠誠誓ってこれを引き止め出家取りやめになっている。晴信は長尾氏との和睦後北信国衆川中島方面国衆への調略進めており、同年7月には高井郡市河氏にも知行宛行行っている。8月には真田幸綱(幸隆)・小山田虎満備中守)らが東条氏が拠る長野盆地東部埴科郡尼飾城長野市松代町)を陥落させ、同年8月には上杉景虎家臣大熊朝秀武田氏内通し挙兵する事件起きており、朝秀は同月13日越後駒帰新潟県糸魚川市青梅)において景虎敗れると武田氏亡命し武田家となっている(『上越』)。 弘治3年1557年正月景虎更科八幡宮(武水別神社長野県千曲市)に願文捧げて武田氏討滅祈願している。同2月15日に晴信は長尾方の前進拠点であった水内郡葛山城長野市)を落とし落合氏滅ぼし高梨政頼居城である飯山城迫った。晴信はさらに同3月14日出陣し北信国衆への褒賞など行っている。上杉謙信の対応は雪解けまで遅れた長尾氏攻勢強め4月18日には長尾景虎自身出陣し長野盆地着陣した。4月から6月にかけて北信濃武田氏諸城攻め高井郡山田城福島城落とし長沼城善光寺奪還横山城着陣して、さらに破却されていた旭山城再興し本営とした。5月長尾景虎武田氏領内深く侵攻埴科郡小県郡境・坂木の岩鼻まで進軍した6月11日景虎高梨政頼派遣して高井郡市河藤若信房か)への調略行い、同16日に晴信はに対して援軍約束しており、同18日には北条氏康加勢である北条綱成勢が上田到着し、同23日景虎飯山城撤退した。晴信は市河氏志久見郷)への救援塩田城原与左衛門尉足軽衆を派遣させているが間に合わず塩田城飯富虎昌に対して今後市河氏緊急時に際して自身の命を待たず派兵することを命じている。武田氏志久見郷の防衛成功長尾氏武田深く侵攻し長野盆地奪回図り7月には高井郡野沢城・尼飾城攻めるが武田氏決戦避け長尾景虎飯山城長野県飯山市)に引き揚げた。 弘治3年1557年7月5日武田氏安曇郡平倉城(小谷城)を攻略する北信川中島へと侵攻し8月下旬には髻山城近く水内郡上野原において武田氏長尾氏合戦を行う。景虎旭山城再興したのみで大きな戦果もなく、9月越後国引き揚げ、晴信も10月には甲斐国帰国した

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