第三次執政期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 01:59 UTC 版)
1894年7月大院君は日本に押し立てられて第三次政権を樹立した。この政権は一定の範囲内での権限行使が容認され、それ以外は日本が裁決する、半ば傀儡政権であった。摂政に再任された大院君は朝鮮を独立させる為の内政改革(甲午改革)を行った。しかし、大院君が押し進めた政策は日本側の望む改革とは異なり、わずか1ヶ月で摂政の座から下ろされた。だが大権はまだ保持しており、大院君は高宗を廃位して永宣君を王位に推戴することを画策し、数十万の東学軍を動かして日本を追い払おうとしたが、逆に裏目に出て日清戦争に発展してしまう。しかし大院君は王位推戴をあきらめず、外国大使には自身の息子である高宗は老衰し、元々徳すらもないと説得しようとした。
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