第三次国共合作の模索とは? わかりやすく解説

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第三次国共合作の模索

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 05:12 UTC 版)

中台関係」の記事における「第三次国共合作の模索」の解説

中国1955年ころから表向き方針を「武力解放」から「和平解放」に転じた。まず、周恩来首相が平和統一話し合い呼び掛けとともに国共内戦後アメリカ亡命した李宗仁元総代行秘書通じて第三次国共合作」による祖国統一を初提案した毛沢東からは、国共内戦時の和平交渉団で国民党側の代表だった章士釗通じて、「国共合作による平和統一」「台湾への高度な自治権保証」など、後の「一国二制度」案の原型となる提案なされたその後1960年密使通じて、「外交権以外の自治権保証」「台湾へ資金援助」などの四項目を提案1965年には「蔣介石国民党総裁身分での大陸帰郷」「蔣介石長男蔣経国台湾省長への任命」「台湾陸軍四個師団存置」など六項目を提案したこのころ中国共産党中央委員会は、「台湾アメリカに渡すより蔣父子蔣介石及び蔣経国)に残した方がよい」という台湾工作大方針のもと、「一綱四目」(一綱:中台統一原則四目軍政の蔣政権へ委任中国中央による台湾へ経済支援台湾社会改革尊重中台スパイ合戦中止)を台湾政策として確立していた。 これに対し台湾蔣介石一貫して大陸反攻」を掲げ中国側提案拒否した逆に1962年ころには、大躍進政策失敗好機捉えて大陸反攻計画したが(国光計画)、全面戦争発展することを恐れたアメリカ・ケネディ政権反対実行されなかった。その後文化大革命混乱乗じて、「毛沢東討伐救国連合戦線」の結成呼び掛けたり人民解放軍将兵寝返り奨励するなどした。

※この「第三次国共合作の模索」の解説は、「中台関係」の解説の一部です。
「第三次国共合作の模索」を含む「中台関係」の記事については、「中台関係」の概要を参照ください。

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