大熊朝秀とは? わかりやすく解説

大熊朝秀(おおくま ともひで) ????~1582

備前守 長秀?
◇父:大熊備前守政秀 子:大熊長秀
 元越後守上杉氏臣で主に経理面を預かる。やがて守護代長尾氏仕えるが、1556年当主景虎隠遁した甲斐・武田氏寝返り反旗返す。しかし敗れて武田氏の下に走り家中となった遠江小山城代になるが甲斐天目山戦死

大熊朝秀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/15 02:53 UTC 版)

大熊 朝秀(おおくま ともひで)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将越後上杉氏、次いで甲斐武田氏の重臣。越後国中頸城郡箕冠城主。(現在の新潟県上越市板倉区


  1. ^ 片桐昭彦「房定の一族と家臣」(『上越市史通史編2』第3部第1章第2節(上越市、2004年)/所収:黒田基樹 編著『シリーズ・中世関東武士の研究 第二二巻 関東上杉氏一族』(戒光祥出版、2018年)ISBN 978-4-86403-269-8) 2018年,P249-251.


「大熊朝秀」の続きの解説一覧



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「大熊朝秀」の関連用語

大熊朝秀のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



大熊朝秀のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
戦国武将覚書戦国武将覚書
Copyright (C) 2024 戦国武将覚書 All Rights Reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの大熊朝秀 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS