髻山城とは? わかりやすく解説

髻山城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/27 14:44 UTC 版)

髻山城
長野県
髻山城の石垣
城郭構造 山城
天守構造 不明
築城主 上杉謙信
指定文化財 なし
テンプレートを表示

髻山城(もとどりやまじょう)または髻城(もとどりじょう)は長野県長野市上水内郡飯綱町の境にあった日本の城

概要

上杉謙信が、川中島の戦いに備えて築いたとされる。北国街道沿いにあり、川中島と春日山城の中間にある交通の要所であった。

主郭部には石垣が残り、謙信が掘った井戸、「観音清水」が残る。

所在地と地形

髻城には、大城(おおじょう)と小城(こじょう)があった。一般的には大城のことを髻城といっている。本丸の頂上と南斜面は長野市大字若槻西条髻、北斜面は飯綱町大字平出字泥ノ木と字一杯清水・清水久保にまたがっており、小城全体は長野市大字西条字髻の地籍であった。

大城は三登山(923.0m)山系の東端にある髻山(744.5m)に立地した山城であり、小城は大城の東南麓約350mの位置に突起した小円頂丘火山(650m)に立地していた。

大城は南と東斜面が急峻でことに東斜面は断崖絶壁をなしており、自然の要害であった。小城は南斜面だけがやや急峻で大城ほど険しくはない。大城の東麓、小城との間に竪穴式古墳が発見され、鉄鏃などが出土した。

参考文献

  • 牟礼村誌・学校誌編纂委員会『牟礼村誌』上巻、297-298頁(所在地と地形)。
  • 信濃史学会編 『信州の山城 信濃史学会研究叢書3』 1993年

関連項目

脚注





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「髻山城」の関連用語

髻山城のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



髻山城のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの髻山城 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS