所在地と地形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/13 05:20 UTC 版)
髻城には、大城(おおじょう)と小城(こじょう)があった。一般的には大城のことを髻城といっている。本丸の頂上と南斜面は長野市大字若槻西条字髻、北斜面は飯綱町大字平出字泥ノ木と字一杯清水・清水久保にまたがっており、小城全体は長野市大字西条字髻の地籍であった。 大城は三登山(923.0m)山系の東端にある髻山(744.5m)に立地した山城であり、小城は大城の東南麓約350mの位置に突起した小円頂丘火山(650m)に立地していた。 大城は南と東斜面が急峻でことに東斜面は断崖絶壁をなしており、自然の要害であった。小城は南斜面だけがやや急峻で大城ほど険しくはない。大城の東麓、小城との間に竪穴式古墳が発見され、鉄鏃などが出土した。
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