所在地と歴史的景観とは? わかりやすく解説

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所在地と歴史的景観

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/12 00:38 UTC 版)

甲府地方裁判所」の記事における「所在地と歴史的景観」の解説

全ての座標示した地図 - OSM座標出力 - KML 表示 本庁山梨県甲府市中央一丁目10-7 北緯353938東経13834分4秒 / 北緯35.66056度 東経138.56778度 / 35.66056; 138.56778 (甲府地方裁判所本庁)JR中央本線, 身延線甲府駅南口 平和通り南へ徒歩15分 都留支部山梨県都留市中央二丁目1-1 北緯35338.5東経13854分28.1秒 / 北緯35.552361度 東経138.907806度 / 35.552361; 138.907806 (甲府地方裁判所都留支部)富士急行富士急行線谷村町駅 徒歩約5分 本庁所在する中央一丁目古墳時代からの定住確認される近世甲府城二ノ堀郭内武家地にあたり甲府城下町絵図類によれば甲府地方裁判所敷地から北側甲府警察署敷地近辺江戸前期には甲府藩柳沢氏家老滝口平左衛門屋敷比定され、周辺にも柳沢家屋敷散在している。甲府勤番時代江戸後期には薬園御薬園)が存在しており、北側には甲府勤番追手役宅学問所徽典館所在しており、甲府裁判所所在地西側は二ノ堀が南北通り西側追手小路舞鶴通り)で甲府城追手門から内堀に囲郭された内城区域に至る。 明治期には甲府城内堀・二ノ堀が埋め立てられ官公庁用地として開発され舞鶴通りには藤村式建築呼ばれる擬洋風建築官公庁立ち並んだ1871年明治4年)には司法省設置され、翌明治5年には山梨県庁舎内に山梨裁判所発足し明治6年には富士川町甲府市中央二丁目)に移り現在地には明治9年3月新庁舎落成とともに移転している。 2007年度には庁舎新営工事に伴い山梨県埋蔵文化財センターによる発掘調査実施され陶磁器など近世遺物確認されている。老朽化により庁舎建替え実施し2009年平成21年1月新庁舎竣工した新庁舎地上6建地1階現在の都留支部および都留簡裁にあたる谷村裁判所1872年明治5年)に設置され谷村陣屋流用していた。1873年明治6年)には一旦廃止されるが、1876年明治9年)に再び設置静岡地裁管轄属した1881年明治14年)には新し庁舎竣工し谷村治安裁判所改称1890年明治23年)には谷村区裁判所改称裁判所構成法)、同年庁舎改築工事完成1924年大正13年)関東大震災被害の為、複数の場所賃借し、仮庁舎として移転したが、同年内に復旧工事竣工している。1947年昭和22年甲府地方裁判所谷村支部谷村簡易裁判所設置裁判所法施行)。1955年昭和30年)に都留市発足したことから庁名を甲府地方裁判所都留支部及び都留簡易裁判所変更した

※この「所在地と歴史的景観」の解説は、「甲府地方裁判所」の解説の一部です。
「所在地と歴史的景観」を含む「甲府地方裁判所」の記事については、「甲府地方裁判所」の概要を参照ください。

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