種々の観点及び方法論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 03:21 UTC 版)
生命倫理学者は多種多様なバックグラウンドを持ち、多様な分野の訓練を受けている。 この分野には、ライス大学のH. Tristram Engelhardt、ライス大学のBaruch Brody、プリンストン大学のPeter Singer、ヘイスティングスセンターの Daniel Callahan 、ハーバード大学のDaniel Brockなどの哲学の訓練を受けた個人。また、シカゴ大学のMark Sieglerやコーネル大学のJoseph Finsのような医学的に訓練された臨床医倫理学者。アルバートアインシュタイン医科大学のNancy Dubler、または連邦人間保護局(Office for Human Research Protections)のJerry Menikoffなどの弁護士。フランシス・フクヤマのような政治学者。ジェームズ・チルドレスを含む宗教学者。ジョージワシントン大学のAmitai Etzioniのような公の知識人。そしてLisa Sowle CahillやStanley Hauerwasのような神学者たち。以前は正式に訓練を受けた哲学者によって専有されてきたこの分野は、ますます学際的になっており、分析哲学の方法は、この分野の発展にマイナスの影響を与えていると主張する、いくつかの批評家までも含まれるようになった。生命倫理学はまたAlfred North Whiteheadによって開発されたプロセス哲学から恩恵を受けている。 この分野の主要ジャーナルには、 Journal of Medicine and Philosophy 、The Hastings Center Report 、 American Journal of Bioethics 、 Journal of Medical Ethics 、 Bioethics 、 Kennedy Institute of Ethics Journal 、およびCambridge Quarterly of Healthcare Ethicsなどが存在する。 多くの宗教共同体は生命倫理的問題への探究の歴史を持ち、それぞれの信仰の観点からこれらの問題にどう対処するかについての規則とガイドラインを発展させた。ユダヤ人 、クリスチャン、そしてイスラム教徒の信仰は、それぞれこれらの問題に関してかなりの数の文献を残している。多くの非西洋文化の場合、宗教と哲学との厳密な分離は存在しない。例えば、多くのアジアの文化では、生命倫理問題について活発な議論があり、仏教の生命倫理は、一般的に、合理的で実用的なアプローチにつながる自然主義的な見方を特徴としている。インドでは、 Vandana Shivaはヒンズー教の伝統から語る有力な生命倫理学者である。アフリカでは、そして部分的にはラテンアメリカでも、生命倫理に関する議論は、未開発地域と地政学的権力関係の文脈におけるその実際的な関連性にしばしば焦点を当てている。アフリカでは、彼らの生命倫理的アプローチは西洋の生命倫理の影響を受けているが、人々は変化を求めており、アフリカの先住民の哲学が適用されるべきであると感じている。その信念は、アフリカ人は彼ら自身の文化に根ざした生命倫理的アプローチを受け入れる可能性が高くなり、それがアフリカの人々に力を与え、彼らに尊厳を与えるだろうということである。 日本では、森岡正博によると、1970年代初頭に障害者活動家やフェミニストが生命倫理運動を始め、1980年代半ばには学術的な生命倫理が始まったと主張している。この期間中、脳死と障害に関する独自の哲学的議論が、アカデミーとジャーナリズムの両方に現れた。中国の文化と生命倫理では、西洋の生命倫理が自主(オートノミー)に強い重点が置かれるのとは対照的に、それほど自主(オートノミー)に重点が置かれていない。コミュニティ、社会的価値観、そして家族はすべて中国文化において非常に高く評価されており、中国の生命倫理における自主性に重点を置いていないことに寄与していると言える。中国人は、家族、地域社会、そして個人は互いに相互依存関係にあると信じているので、家族のために独立した決断を下すのではなく、家族単位が愛する人のために健康管理と医学的決断に関する決定をまとめるのが一般的である。 中には、スピリチュアルにお互いの霊的存在および道徳的主体としての相互理解する関係は、生命倫理の重要な側面であり、霊性と生命倫理は互いに深く絡み合っていると主張する人も存在する。医療提供者として、さまざまな世界観や宗教的信念を知って理解することが重要であり、この知識と理解を持つことは、医療提供者に彼らの患者をより良く治療しそして奉仕する能力を与えることができるようになり、患者の道徳的要因のつながりと背景理解を深めることは、患者に提供されるケアを向上させるのに役立つ。このつながりや理解がなければ、患者は「顔のない仕事の単位」になったり、語るべき人の生や精神的な存在とは対照的に、単なる「病状の症例」と見なされたりする危険性があるという。
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