神戸新聞杯 - 菊花賞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 08:19 UTC 版)
「オルフェーヴル」の記事における「神戸新聞杯 - 菊花賞」の解説
夏場は涼しい北海道ではなく、栗東近郊のノーザンファームしがらきへ放牧に出された。この意図について池江は、8月下旬に北海道から戻ってきたときの大きな気温差により馬に負担がかかるのを避けたかったとしている。三冠への期待から、池江は最も緊張する時期を過ごした。 秋初戦、陣営は菊花賞に向けてのステップレースとして9月25日に地元の阪神競馬場で行われる神戸新聞杯を選択した。無事に夏を越し成長した姿を見せたオルフェーヴルは単勝1.7倍の圧倒的な支持を受けた。レースでは好スタートを決めた後、先行集団に付けるという今までにない競馬を見せた。最初の1000メートルが63秒5というスローな流れの中、道中は何とか折り合いをつけてじっと動かずに進み、迎えた第3コーナーで外から蓋をしにかかったウインバリアシオンに呼応して一気に捲る。最後の直線で上がり3ハロン32秒8という切れ味を発揮して早めに抜け出すと、池添がほとんど鞭を使うことなく2着ウインバリアシオンに2馬身半差をつけて勝利、重賞4連勝で秋初戦を飾った。馬体重が前走から16キログラム増の460キログラムと馬体が逞しくなっただけでなく、パドックでは外側を堂々と周回し、レースでは先行して折り合って見せるなど、あらゆる面で成長を感じさせる内容であった。これに関し勝利騎手インタビューで池添は「まだ粗削りだけど反応の速さがすごい。体の緩さがなくなりトモがしっかりしてきた。どこまで強くなっていくのか」とオルフェーヴルの成長ぶりを表した。また、スローペースの中、先行し早めに抜け出すという横綱競馬を見せたことについて、池江は「(オルフェーヴルの母の父である)メジロマックイーンみたいだったね」と顔をほころばせ、池江の父である池江泰郎元調教師も「こんなに楽に勝てるとは思わなかった。何もかもがいい経験になった」と目を細めていた。なお、このレースは2007年にドリームジャーニーも制しており兄弟制覇となった。神戸新聞杯を楽勝できたことから、池江が「このまま普通に行けば勝てると思いました」と振り返るように、陣営の三冠への重圧は減退した。 2011年菊花賞 表彰式 記念撮影 三冠をかけて臨んだ10月23日のクラシック第3弾・第72回菊花賞では、およそ6万8000人の大観衆が京都競馬場に駆け付ける中、単勝支持率58.28%、単勝オッズ1.4倍の圧倒的な1番人気に支持された。この競走に向けた追い切りの後に、池添が「乗り味は今までで一番だったデュランダル以上」と語るなど、オルフェーヴルの乗り味はドリームジャーニーやデュランダル、スイープトウショウといった多くの名馬の背中を知る池添をもってしても、今までに経験したことのないレベルに達していた。三冠がかかったレース前、緊張する池添に対し、池江は具体的な作戦ではなく「謙一とオルフェーヴルを信じている」と、また担当厩務員である森澤は「自信をもって乗ってきてください」と声をかけた。 レースでは、外目の14番枠に入り隣の枠のサンビームがゲート内で暴れるも影響を受けることなく好スタートを切ると上手く内側に進路を取ったが、最初の第3コーナーで次々と他馬が外から擦っていったこともありスタンド前にかけて行きたがる気配を見せた。しかし、池添が馬群に入れて落ち着かせながら中団好位をキープして進むと、向正面では長手綱にするほど折り合いがつき、2周目の第3コーナーから徐々に進出を開始。最後の直線に入った所で早めに先頭に立つとそのまま独走態勢に入り、最後方から追い込むという奇襲に出たウインバリアシオンの追撃も2馬身半差退けて、栄光のゴールを駆け抜けた。この勝利によりオルフェーヴルは、2005年のディープインパクト以来6年ぶり史上7頭目のクラシック三冠馬に輝いた。 自ら動いて早々とセーフティーリードを築き、最後は手綱を抑える余裕を見せたにも関わらずコースレコードに0.1秒と迫る好タイムを残すという、強い競馬であったが、早めに先頭に立ったことに関して池添は「この馬が後ろから差されるイメージはなかった」と勝利騎手インタビューで明かしている。ゴール後には、池添がガッツポーズをせずに警戒していたにもかかわらず、1頭になったオルフェーヴルが外ラチに向かって逸走しデビュー戦同様に池添を振り落とすという珍事もあった。これにより森澤に引かれる形でのウイニングランとなったが、これについて池添は勝利騎手インタビューにおいて「僕とオルフェーヴルらしい」と苦笑いを浮かべながら答えていた。この勝利を受け、池江は「目標は、ボクの夢である凱旋門賞です」と述べ、翌年の凱旋門賞挑戦を表明した。なお、父・母・および母の父のすべてが内国産馬の三冠馬は史上初である。母、母の父が内国産の例を挙げてもシンザンとシンボリルドルフにしか例のない快挙である。池添は1964年にシンザンで三冠を達成した栗田勝の32歳8ヶ月5日を更新する32歳3か月1日で最年少三冠ジョッキーとなり、池江の父である池江泰郎は2005年にディープインパクトで三冠を達成しているため史上初めて親子で三冠トレーナーとなった。
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