神戸教会牧師(1978-2002)
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「岩井健作」の記事における「神戸教会牧師(1978-2002)」の解説
西中国教区での20年間、牧会と幼児教育の経験を経て、健作は1978年4月、日本基督教団 神戸教会 第12代牧師に就任する。以降2002年3月まで24年間、神戸教会牧師、石井幼稚園園長、神戸教会いずみ幼稚園園長を務める。神戸教会と縁の深い、学校法人頌栄保育学院の理事長、社会福祉法人神戸真正塾・神戸聖霊事業団理事を務め、教団・教区において、日本基督教団常議員、兵庫教区議長、日本基督教団阪神淡路大震災対策委員を務めた。 日本基督教団 神戸教会の創立は1874(明治7)年4月19日、アメリカンボードの宣教師 D.C.グリーンによる男女11名の受洗、摂津第一公会の設立に遡り、1974(昭和47)年4月21日、教会創立100周年記念集会が開かれている。健作が神戸教会牧師に就任したのは100周年から4年後であるが、100周年教会史の編纂には1974年から実に18年の時を必要とした。編集委員会の発足は1974年、『近代日本と神戸教会』の出版決定と編集作業の開始は1989年、実際の出版は1992年である。「教会史の編纂」の章は『近代日本と神戸教会』の本文の最後を飾っている。 1995年1月17日、午前5時46分、マグニチュード 7.2、震度7の烈震、阪神淡路大震災が神戸の街に襲いかかった。神戸教会は会堂修復を済ませたばかりであったため、倒壊を免れた。健作は後に次のようにそのことを書いている。 ”特別募金の完遂により改修を終わっていたことが外壁の倒壊をまぬがれた大きな要因であった。” 倒壊は免れたものの、神戸教会ではガスが止まっていて、1995年3月5日(震災から47日目、受難節第1主日)まで礼拝堂での礼拝は守れなかった。教会は、ガスが通わず、暖房も風呂も使えない状況が1ヶ月半続いていた。亀裂の入った会堂塔屋部分の復旧の見積もりは数千万円に上ったという。それでも周囲の完全に倒壊した教会堂に較べれば被害は軽微だった。 神戸教会が教会史の編纂に18年をかけたように、パイプオルガンの導入には実に20年をかけている。健作が神戸教会牧師に就任した1978年の3年後、1981年2月「オルガンのため」初めての献金が捧げられた。阪神淡路大震災の被災の中で、生活の復興と慰めの祈りと共にパイプオルガンのための献金は重ねられ、2001年3月14日にパイプオルガンが完成する(岩井健作.comサイトにテキストが掲載されている)。 震災から7年、パイプオルガン完成の翌年、2002年3月に健作は24年間務めた神戸教会牧師を辞した。この時、68歳。日本基督教団 隠退教師として、鎌倉に居を移した。
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