社会批判 -《花嫁》シリーズ
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「ニキ・ド・サンファル」の記事における「社会批判 -《花嫁》シリーズ」の解説
1960年、レスタニの提唱により、ティンゲリー、スペーリ、アルマン、レイモン・アンス(フランス語版)、ジャック・ヴィルグレ(フランス語版)、フランソワ・デュフレーヌ(フランス語版)、マルシャル・レイス(フランス語版)の8人の彫刻家、画家、造形作家が「ヌーヴォー・レアリスム」宣言を発表した。大量生産品や既製品、廃品のアサンブラージュを制作した彼らは、これこそが、これらのモノに溢れた工業化社会に生きる現代人の「現実」であるとして、これを「ヌーヴォー・レアリスム」と名付けた。ニキは1961年にこの運動(またはグループ)に参加した。彼女のヌーヴォー・レアリスムの代表作は1965年頃に制作された高さ2メートル以上の大作《磔刑》である。これは、腕を切断され、恍惚とした表情の女性像であり、頭髪のカーラー、上半身に接着された多数の小さい玩具類、下半身のパッチワークの半ズボン、ガーターベルト、黒い陰毛など「母」、「娼婦」、「老女」の特徴を併せ持ち、女性が置かれた状況を表わすものと解釈される。 1961年10月4日から11月12日まで、ニューヨーク近代美術館 (MoMA) でウィリアム・C・サイツによる企画「アサンブラージュの芸術」展が開催され、ニキの作品《あなたは私》も展示された。これを機に、1962年2月にニキとティンゲリーはカリフォルニアを旅行し、ロサンゼルスでサイモン・ロディアのワッツ・タワー(英語版)を訪れた。この作品もまた、彫刻庭園を造ろうというニキの気持ちを強めることになった。カリフォルニアからネヴァダ、メキシコへと旅を続け、展示会やハプニングに参加。1963年に二人はパリの南40キロほどのところ(エソンヌ県)にあるソワジー=シュル=エコール(フランス語版)(ソワジー=シュレコール)にアトリエを構えた。 同年制作の《花嫁》も《磔刑》と同様に2メートル以上の大きな作品で、ウェディングドレスを着てブーケを持った白い女性像の上体には、胎児のような人形やその切断された手足、靴、自動車、飛行機、性器、花、蛇、鳥などの奇妙な生物をかたどった小さいオブジェが多数接着されている。「(結婚した女性としての)義務の重荷を負って、絶望の叫びをあげているかのような」女性像である。ニキは1963年から64年にかけて、この他にも《馬と花嫁》、《樹下の花嫁》など苦しみと悲しみを湛えた《花嫁》シリーズを発表した。社会規範や不平等、タブーに挑むニキの反逆を表わし、「男性支配の終焉を告げる」作品群とされる。娘のローラは、これらの作品は「激しく拒否されたけれど」、ニキは「一切気にかけなかった。彼女は規則を破り、挑発することを楽しんでいたから」と語っている。《花嫁》シリーズにもすでに社会において女性が担う複数の役割が表象されていたが、これは、この後、妊婦、娼婦などのより多様な女性像を生むことになり、やがて代表作《ナナ》シリーズへとつながっていく。 女性の多様な表象のほか、扱う題材も広がり、アサンブラージュとして怪獣や怪物(モンスター)、ドラゴンを創り始めた。1963年制作の射撃作品《キングコング》では、中央に大きな怪獣、右手に爆撃された高層ビル群、怪獣の左側にはフィデル・カストロ、エイブラハム・リンカーン、シャルル・ド・ゴール、ジョージ・ワシントン、ジョン・F・ケネディ、ニキータ・フルシチョフらのデスマスクが並んでいる。これは、「冷戦期の共存の必要性と束の間の緊張緩和」を表わす作品と解釈される。 怪獣シリーズには、ほぼ同じ頃に制作された《ベルリンのドラゴン》、《グレムリン》、そして1966年頃に制作された重さ約300キロの作品《ソワジーのモンスター》がある。同年にはまた、ダンサー・振付師のローラン・プティのバレエ『痴愚神礼讃』(エラスムスの同名作品の翻案)の舞台芸術と衣装を担当し、《権力の座に就いた女性》として巨大なドラゴンを制作した。
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