演習場の状態
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日本原演習場は那岐山の裾野に沿って帯状に広がる原野を活用したもので、東西6キロメートル、南北5キロメートルの範囲で面積約1,450万平方メートルに及び、中国地方、四国地方地区では最大の自衛隊演習場である。旧軍時代には現在の陸上自衛隊駐屯地の南東付近に滝本廠舎が、元岡山県立日本原高等学校の敷地付近に新野廠舎があった。 演習場内には間接照準火器用の射場が設けられ、迫撃砲や榴弾砲の射撃ができる2,600メートルと4,000メートル射場があり、直接照準火器では小火器用の射場や戦車砲用の射場がある。間接照準火器についての同時射撃可能数は榴弾砲1門となっており、射角は約152ミルとなっている。実弾下潜入訓練場も設けられている。場内には溜池が数多くありその中でも最も大きなものは那岐池がある。東地区内には那美神社がある。 演習場周辺は南側に国道53号(因幡道)が東西に走っており、国道の近くに廠舎が設けられ、道を超えた所に日本原駐屯地が所在している。北は那岐山と滝山を頂く山地で菩提寺もあり、東西と南側は家屋が点在しつつ田畑が広がっており畜産業もある。周辺には寺社も点在してる。
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演習場の状態
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/15 14:38 UTC 版)
かつて信太山丘陵は松が広がる土地であったが、旧軍時代や戦後の困窮期における燃料としての伐採や松枯れ病によって植生は減少した。土壌については強酸性の赤い泥状で、古代には須恵器の材料として適していたが、農耕にはやや不適であり、一帯は演習場となった。 信太山演習場の敷地は約220万平方メートルに及びこの内民有地は農地など約27,000平方メートルが点在しており、形は大きくは南北に広がり一部は蔭涼寺を含む民有地をまたいだ西側にも広がる。場内には溜池が幾つもあり最も大きなものは大谷池がある。演習場の概ね中央を縦貫する形で南北にバイパス道路が通じており、道路沿いに覆道射場がおかれ近くには廠舎もある。また、演習場南西部の飛び地に自動車訓練所の跡地が有り、堺市側にはかつては屋外型の射撃場があったが現在は訓練場として残されている。 演習場周辺は住宅地が広がり、和泉市側に航空局レーダー、泉北水道企業団の施設、公園、霊園および田畑が存在し、堺市側には和泉自動車検査登録事務所(両市境界にあり敷地自体は和泉市内にある)をはじめ、工場、商業地、団地および南東側側部には阪和自動車道が沿っている。演習場の地形や植生は演習などによって変化したが、演習場であったため周辺の宅地造成から逃れ周辺でも貴重な自然が残る地域となっており、和泉市当局による保全活動や地元市民の運動として里山自然公園構想が発案されている。 1999年(平成11年)頃から産業廃棄物業者の私有地が含まれる演習場内の一部に産業廃棄物が不法投棄され、大谷池を管理する「光明池土地改良区」が撤去費用を肩代わりし2008年(平成20年)2月に撤去がはじまる。
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