清朝「三世の春」とは? わかりやすく解説

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清朝「三世の春」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 08:00 UTC 版)

近世から近代にかけての世界の一体化」の記事における「清朝「三世の春」」の解説

詳細は「清#経済」および「乾隆帝」を参照 「雍正のチベット分割」参照 康熙帝雍正帝乾隆帝の3人の皇帝時代三世の春と呼ぶ。この3人の時代に、皇帝モンゴルチベットウイグル等の民族ハーンとして君臨し理藩院による間接統治をおこなう形態採用する一方李氏朝鮮ヴェトナムビルマタイなどの東南アジア諸国には中国伝統的な外交方針である冊封体制のもと、周辺諸国とのあいだで朝貢貿易おこなわれ緩やかに周辺支配する形態採用する形式が完全に確立した時代だった。そのため、ヨーロッパ諸国中国伝統的秩序のなかで貿易を行わざるを得なかった。上述のように陶磁器などの物品ヨーロッパで人気のある商品だったため、ヨーロッパ商人代価として銀を支払うという片貿易の状態が続いた。これは、対日貿易も同じで、明朝時代よりアメリカ大陸日本からの銀の輸入続いたことにより、康熙帝1711年地丁銀制採用した対内的に見ると、この時代戦乱落ち着いたことから人口急激に増加した時代だった。康熙帝の頃の17世紀末の人口は約1億5000万人推定されていたが、約100年後の18世紀後半には3億人を越えた推定される地丁銀制により人頭税丁銀)が固定化したことも人口増加一因として挙げられるが、この100年間の人口急増支えたのが、新大陸よりもたらされトウモロコシサツマイモトウガラシといった農産物だった。農業発展貨幣経済進展により商工業発達し新安商人山西商人といった商業ネットワーク形成されていき、主要都市には、同郷者や同業者の集まる会館公所さかんに設立された。 1722年即位した雍正帝は、朝4時から夜12時まで政務から離れず便箋ホゴ紙を用い食事茶碗についた一粒の米を惜しんだほどの倹約家で、1732年設置した政治最高機関軍機処建物もみすぼらしいバラックのような建物だったという。厳正な政治心がけた彼は、1724年にはキリスト教布教禁止しイエズス会宣教師マカオ追放した1727年には、ロシアとの間にキャフタ条約を結び、モンゴルシベリアのあいだの国境画定した。 1735年即位した乾隆帝治世60年長きわたった乾隆帝業績としてまず挙げられるのが「十全武功」である。ジュンガル金川グルカには2度の、回部台湾ビルマ安南には1度外征行い合わせて十全武功」として自らを「十全老人」と呼んだ。これにより清の版図最大規模広がったまた、乾隆30年代ビルマ内乱起こり乾隆帝はこれに介入して乾隆34年1769年)にビルマ朝貢国とした。乾隆53年1788年ヴェトナム王朝交替乱れると、これに介入して朝貢国とした。ほかに、ラオスタイ服属させた。 康煕雍正時代経済的繁栄宮廷倹約もあって国庫充実し乾隆帝はたびたび減税行った10回の外征も、こうした豊かさ前提としていたが、彼自身豪奢な南方巡幸行ったり、ジュゼッペ・カスティリオーネ円明園を造らせるなど派手好み傾向があった。外国貿易に関しては、1757年貿易制限令を発して外国貿易広州1港に限定した公行制)。なお、乾隆晩年1793年にはイギリス使節ジョージ・マカートニー渡来し通商要求したが、それに対して乾隆帝は、「わが国地大物博(地ひろく物産がゆたか)で貴国から買うものはない」といって、その要求しりぞけた。これは、中国皇帝傲慢さを示すことばだとして伝えられたが、当時としては事実でもあった。 ただし、18世紀代の約100年人口倍増したことは、民衆にとっては、新たな農地開墾限界生じさせることともなっていた。そのため、漢民族移民禁止されていた満州モンゴルウイグル台湾雲南省貴州省といった地域にも進出する一方福建省広東省沿岸住民は、東南アジア諸地域移住していった(華僑のはしり)。

※この「清朝「三世の春」」の解説は、「近世から近代にかけての世界の一体化」の解説の一部です。
「清朝「三世の春」」を含む「近世から近代にかけての世界の一体化」の記事については、「近世から近代にかけての世界の一体化」の概要を参照ください。

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