清朝との婚姻関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/09 23:28 UTC 版)
ホルチン部が清朝に帰順したとき、マングス(莽古斯)は娘のジェルジェルを太宗(ホンタイジ)に嫁がせ、皇后に立てられた(孝端文皇后)。マングスの子のジャイサン(寨桑)もハルジョルとブムブタイの娘2人を太宗に嫁がせ、ブムブタイは世祖(順治帝)の生母として皇太后に立てられた(孝荘文皇后)。ジャイサンの子のウクシャン(烏克善)とマンジュシリ(満珠習礼)、この2人の甥(ジャイサンの孫)のジョルジ(綽爾済)もそれぞれ娘を世祖に嫁がせた。ウクシャンの娘は皇后となった後に廃され、マンジュシリの娘は夭逝して悼妃と諡され、ジョルジの娘2人は皇后(孝恵章皇后)および妃(淑恵妃)となった。
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