流転の日々
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1944年(昭和19年)12月、学習院初等科に在学していた長女の慧生を日本に残して、新京に戻った。翌1945年(昭和20年)8月、ソ連対日参戦によって新京を攻められたため脱出し、終戦を朝鮮との国境近くの大栗子(通化省臨江県)で迎えた。溥傑は溥儀の日本へ亡命する飛行機に同乗、浩は陸路で朝鮮に向かい、そこから海路で日本へ帰国することになった。 しかし、溥儀と溥傑らは途中でソ連軍(赤軍)に拘束され、浩たちのいた大栗子も危険となったため、臨江に逃れた。翌1946年(昭和21年)1月には、八路軍の手によって通化の八路軍公安局に連行され、通化事件に巻き込まれた。同年4月以降、長春(満州国時代の新京)、吉林、延吉、佳木斯へとつぎつぎに身柄を移され、同年7月に佳木斯で釈放された。 釈放後、同年9月に葫芦島に至り、そこで日本への引揚船を待った。しかし、同地で国民党軍に身柄を拘束され、北京を経由して同年12月に上海へと移された。同月、上海の拘束場所から田中徹雄(旧日本軍の元大尉、のちの山梨県副知事)の助けを得て脱出し、上海発の最後の引揚船に乗船して、翌1947年(昭和22年)1月に日本に帰国した。なお、上記の流転の日々から帰国までの間、次女の嫮生をずっと伴っていた。
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流転の日々
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「ナデジダ・パヴロワ (1905年生のバレエダンサー)」の記事における「流転の日々」の解説
キエフの生まれ。4人兄妹の末の子で、トゥマンスキー家という貴族の血筋を引く家の出であった。4人のうち長男ニコライは10歳、次女ピエラは4歳で早世し、成人したのはエリアナとナデジダのみであった。 母ナタリアはオペラ歌手であった。ナデジダ自身が語ったところによれば、彼女の父は俳優だったがナタリアと諍いを生じた末に一家を捨てて出奔したといい、以後音信不通となった。 エリアナは8歳でバレエを始め、自身が後に語ったところによれば、キエフのオペラ劇場で踊りを披露した経験があった。ナデジダも後にバレエを始め、1916年に母娘3人はフィンランドの首都ヘルシンキへ渡った。この時期のフィンランドは帝政ロシアの支配下にあり、したがって往来は自由であった。この地でナタリアはオペラ(アントン・ルビンシテイン作曲の『デーモン』(en:The Demon (opera))に主演し、エリアナはバレエ公演で踊るなど平和で充実した日々を過ごしていた。 ヘルシンキでの平和な日々は長く続かなかった。ロシア革命が発生すると、フィンランド政府はロシア人に対して強硬な姿勢を取った。それは、フィンランド国内にいるロシア人に対して20日間の期限を切っての国外への退去命令であった。 3人は祖国に帰ったものの、革命のために社会は混乱を極め、赤軍と白軍による内戦も続いていた。貴族や資産家の他、中産階級の人々やボリシェヴィキの思想に反対する人々も次々と国外へ逃れていった。パヴロワ家も家と財産を没収され、3人はロシアからの脱出を決行した。 母と娘2人に残された財産は、トランク20個に詰め込まれたバレエの衣装といくばくかの宝石であった。3人はまずシベリアへ向かい、エカテリンブルクにたどり着いた。エカテリンブルクはウラル地方の中核都市であり、劇場が存在していた。1か月ほどの滞在ではあったものの、エリアナはこの劇場と出演契約を結んで舞台に立っている。 その後3人はエカテリンブルクを後にしてシベリア鉄道に乗り込んだ。経由地のハバロフスクやウラジオストクでもエリアナは舞台に立ち、ナデジダもいつの頃からか一緒に踊るようになって、ともに厳しい家計を助けた。3人はハルピンまで無事にたどり着いて、この地で半年ほどを過ごしている。 次に3人が向かったのは、北京であった。その後の足取りは、天津、青島、上海を経由して少しずつ日本へと向かっている。当初3人には多くの白系ロシア人と同様にアメリカかヨーロッパに亡命する考えがあり、日本はあくまでもその中継点であった。ただし、アメリカ行きには母ナタリアが反対し、実現には至らなかった。 上海で河上鈴子(1902年-1988年)という舞踊家と出会ったのが、3人の転機となった。河上は幼少時から上海に住んでいて、この地でバレエとスペイン舞踊を習っていた。ナデジダは河上のところに、踊りのレッスンに通っていた。河上とは後に、日本においても親しく付き合うことになった。
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