流転の日々とは? わかりやすく解説

流転の日々

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 02:43 UTC 版)

嵯峨浩」の記事における「流転の日々」の解説

1944年昭和19年12月学習院初等科在学していた長女慧生日本残して新京戻った。翌1945年昭和20年8月ソ連対日参戦によって新京攻められたため脱出し終戦朝鮮との国境近く大栗子通化省臨江県)で迎えた溥傑溥儀日本へ亡命する飛行機同乗、浩は陸路朝鮮向かい、そこから海路日本へ帰国することになった。 しかし、溥儀溥傑らは途中でソ連軍赤軍)に拘束され、浩たちのいた大栗子も危険となったため、臨江逃れた。翌1946年昭和21年1月には、八路軍の手によって通化八路軍公安局連行され通化事件巻き込まれた。同年4月以降長春満州国時代新京)、吉林延吉佳木斯へとつぎつぎ身柄移され同年7月佳木斯釈放された。 釈放後、同年9月葫芦島至り、そこで日本への引揚船待った。しかし、同地国民党軍身柄拘束され北京経由して同年12月上海へ移された。同月上海拘束場所から田中徹雄旧日本軍の元大尉、のちの山梨県副知事)の助け得て脱出し上海発の最後引揚船乗船して、翌1947年昭和22年1月日本に帰国した。なお、上記の流転の日々から帰国までの間、次女嫮生をずっと伴っていた。

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流転の日々

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 01:52 UTC 版)

ナデジダ・パヴロワ (1905年生のバレエダンサー)」の記事における「流転の日々」の解説

キエフ生まれ。4人兄妹の末の子で、トゥマンスキー家という貴族血筋を引く家の出であった。4人のうち長男ニコライ10歳次女ピエラは4歳早世し、成人したのはエリアナナデジダのみであった。 母ナタリアオペラ歌手であったナデジダ自身語ったところによれば、彼女の父は俳優だったがナタリア諍い生じた末に一家捨てて出奔したといい、以後音信不通となったエリアナ8歳バレエ始め自身が後に語ったところによれば、キエフオペラ劇場踊り披露した経験があった。ナデジダも後にバレエ始め1916年母娘3人はフィンランド首都ヘルシンキ渡った。この時期フィンランド帝政ロシア支配下にあり、したがって往来は自由であった。この地でナタリアオペラアントン・ルビンシテイン作曲の『デーモン』(en:The Demon (opera))に主演しエリアナバレエ公演で踊るなど平和で充実した日々過ごしていた。 ヘルシンキでの平和な日々長く続かなかった。ロシア革命発生すると、フィンランド政府ロシア人に対して強硬な姿勢取った。それは、フィンランド国内にいるロシア人に対して20日間の期限切って国外へ退去命令であった。 3人は祖国帰ったものの、革命のために社会混乱極め赤軍白軍による内戦続いていた。貴族資産家の他、中産階級人々ボリシェヴィキ思想反対する人々次々と国外へ逃れていった。パヴロワ家も家と財産没収され、3人はロシアからの脱出決行した母と娘2人残され財産は、トランク20個に詰め込まれバレエ衣装いくばくかの宝石であった。3人はまずシベリア向かいエカテリンブルクにたどり着いたエカテリンブルクウラル地方中核都市であり、劇場存在していた。1か月ほどの滞在ではあったものの、エリアナはこの劇場出演契約結んで舞台立っている。 その後3人はエカテリンブルクを後にしてシベリア鉄道乗り込んだ経由地ハバロフスクウラジオストクでもエリアナ舞台に立ち、ナデジダもいつの頃からか一緒に踊るようになって、ともに厳し家計助けた。3人はハルピンまで無事にたどり着いて、この地で半年ほどを過ごしている。 次に3人が向かったのは、北京であったその後足取りは、天津青島上海経由して少しずつ日本へと向かっている。当初3人には多く白系ロシア人同様にアメリカヨーロッパ亡命する考えがあり、日本あくまでもその中継であった。ただし、アメリカ行きには母ナタリア反対し、実現には至らなかった。 上海河上鈴子1902年-1988年)という舞踊家出会ったのが、3人の転機となった河上幼少時から上海住んでいて、この地でバレエスペイン舞踊習っていた。ナデジダ河上ところに踊りレッスン通っていた。河上とは後に、日本においても親しく付き合うことになった

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