活用を求める動き
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吉野町煉瓦倉庫の活用を求める弘前市民の活動は1988年(昭和63年)に煉瓦館再生の会(代表:渋谷龍一)が結成された頃より始まる。この会の顧問の村上善男によると、会の趣旨は「弘前市内に点在する煉瓦造りの倉庫は、古都弘前を内側からささえる<大切な風景>の核になっているので、都市変容の前に、倉庫を残す運動を起こす必要がある。同時にただ補修をして残すだけでなく、館を文化的に活用することにより<煉瓦館の再生>をもはかること」であった。 この会のメンバーは弘前青年会議所のOB会員ら市内の青年層を中心に約15人で、数年にわたり、定期的に勉強会や見学会を重ねていた。同倉庫を木版画美術館として再生すべく、会の構想について知ってもらうためのPRイベント「現代日本版画展」が1991年(平成3年)6月19日から23日までスペース・デネガで開催された。同展では、池田満寿夫、駒井哲郎、野田哲也、横尾忠則、李禹煥、ジャスパー・ジョーンズら国内外の著名作家のほか、青森県出身の棟方志功、関野準一郎、下澤木鉢郎を加え、約60点の作品を公開し、5日間の会期中に千人に近い熱心な観客がつめかけた。 1994年(平成6年)になると、リンゴにちなんだまちづくり運動を展開するアップルフェア推進協議会(会長:今井正直)は「いいリンゴの日」の11月5日、日本で初めて本格的なシードルを大々的に製造した同倉庫にて「アップルパーティ」を開催。また1996年(平成8年)には、同協議会が「ジャパンアップルフェア」を2日間の日程で開いた。初日に開催された弘前市民が同倉庫の活用法を考える「アップルカレッジ」では幅広い世代からの様々な提案がなされ、また翌日にはリンゴ料理やシードル、ジャズの生演奏が楽しめるパーティが催された。 一方、弘前市においても、煉瓦倉庫を含め周辺一帯を文化拠点施設として整備する「吉野町緑地整備構想」が進められていた。構想がまとまる前の1989年(平成元年)には、市土地開発公社が弘前市の活用を見込み周辺の土地6,265m2を取得、市は1993年(平成5年)から倉庫の持ち主と土地、建物の取得交渉に入った。取得計画は「吉野町の煉瓦倉庫を美術展示館に」という市民側からの要望に後押しされたものだった。1994年(平成6年)には県重点要望事項「文化拠点施設の支援」の中に、煉瓦倉庫を明記し、耐震調査や再生利用計画調査を実施した。しかし倉庫所有者との交渉は条件などが折り合わず、1998年(平成10年)3月以降、交渉は途絶えたままだった。2000年(平成12年)の重点要望からは煉瓦倉庫の項目が削除され、さらに翌年の重点要望では、県の地域芸術パーク構想に示された「弘前は既存の施設・活動の活用による地域芸術パーク構想づくりを目指す」という考えに呼応し、文化拠点施設整備の支援そのものが削除された。 弘前市はいったんは煉瓦倉庫の取得を断念したものの、2015年(平成27年)に吉野町煉瓦倉庫の土地と建物を購入することができ、(仮称)弘前市芸術文化施設として2020年には弘前れんが倉庫美術館が開館。 弘前市はこの吉野町にある文化施設「弘前れんが倉庫美術館」を、人々の交流の場である鍛冶町地区と共に回遊性向上と賑わいづくりなど、弘前市中心市街地活性化基本計画における「文化交流エリア」にゾーニングし、官民連携による周辺民間事業と共に一体的整備計画の核事業のひとつに位置づけている。
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