民話として語られる伝説の骨子とは? わかりやすく解説

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民話として語られる伝説の骨子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/03 00:13 UTC 版)

真名野長者伝説」の記事における「民話として語られる伝説の骨子」の解説

継体天皇の頃、豊後国玉田に、藤治という男の子産まれたが、3歳で父と、7歳で母と死に別れ臼杵深田に住む炭焼きの又五郎元に引き取られ、名前を小五郎改めたその頃奈良の都久我大臣の娘で玉津姫という女性がいたが、10歳の時、顔に大きな痣が現れ醜い形相になり、それが原因嫁入り年頃迎えて縁談には恵まれなかった。姫は大和国三輪明神へと赴き、毎晩願を掛けていた。 9月21日の夜、にわか雨にあった姫は拝殿休養していた所、急に眠気覚えそのまま転寝してしまった。すると、夢枕三輪明神現れ、こう告げた。「豊後国深田炭焼き小五郎という者がいる。その者がお前の伴侶となる者である。金亀ヶ淵で身を清めよ。」 姫は翌年2月に共を連れて西へと下るが、途中難に会い臼杵へたどり着いた時には1人となってしまっていた。人に尋ね探して小五郎という男は見つからず、日も暮れ途方に暮れていた所、1人老人出会った。「小五郎の家なら知っておるが、今日はもう遅い。私の家に泊まり明日案内することにしよう。」 翌日姫が目を覚ますと、泊まったはずの家はなく、大きな木の下に老人寝ていたのであった老人目を覚ますと姫を粗末なあばら家まで案内し、たちまちどこかへ消えてしまった。 姫が家の中待っていると、全身炭で真っ黒になった男が帰ってきた。男は姫を見て驚いたが、自分の妻になる為に来たと知り更に驚いた。 男は「私1人食べるのがやっとの生活で、とても貴女を養うほどの余裕はない」と言うと、姫は都より持ってきた金を懐から出し「これで食べる物を買って来て下さい。」と言って男に渡した。 金を受取った男は不思議そうな顔をしながら出て行った。麓のまでは半日はかかるはずであるのに、半時もしないうちに手ぶら帰ってきた男は言った。「淵に水鳥がいたので、貴女からもらった石を投げてみたが、逃げられてしまったよ。」 姫は呆れ返って言った。「あれはお金というものです。あれがあれば、様々な物と交換できるのです。」 すると男は笑いながら言った。「なんだ、そんな物なら、私が炭を焼いている窯の周りや、先程の淵に行けばいくらでも落ちているさ。」 姫は驚き、男に連れて行ってくれるように頼んだ行ってみると、炭焼き小屋周囲には至る所から金色光るもの顔を出しており、2人はそれらを集めて持ち帰った。 更に水鳥がいたという淵へ行ってみると、中から金色に輝く亀が現れそのまま水の中へと潜って行った。 「ここがお告げにあった金亀ヶ淵』に違いない!」と思った姫は淵ので身を清めた。すると顔の痣は瞬く間消え去り、輝くばかりの美しい姿となった2人夫婦となり、屋敷建てた場所が真名野原(まなのはら)という所であったことから、「真名長者」と呼ばれるようになった。 やがて2人の間には娘が産まれ般若姫と名付けられた。姫は成長すると輝くような美女になり、その噂は遠く都にまで伝わって行った多く貴族たちが后にと使い送って来たが、長者夫婦は「大事な跡取り娘であるので」と断り続けたその頃、都では皇子達の間で後継争い勃発していた。兄は有力豪族支援得て優勢であったが、弟はいつ暗殺されもおかしくないほど危うい状況であった。弟は豊後国美女の噂を聞き、「どれほど美女かこの目で見てみたい」との口実作り都を脱出する豊後国到着する宇佐八幡宮参拝して皇位預け、名も山路変えて長者屋敷下働きとして潜り込んだ長者使用人達や客人をもてなす為の建物幾つも建てたが、これらが竣工するになって姫が病に臥せってしまった。長者あらゆる名医まじない師呼んだ治る気配無かったが、山王権現祈願したときに「三重松原にて笠掛的を射よ」とのお告げがあった。 長者周囲の者は笠掛の的を知らず困惑したが、山路知っているというので命じてみると直ぐに馬に乗り的を射て山王権現より錫杖下賜受けて戻って来た。 長者は姫が回復する2人を娶わせ、新たな屋敷建てて住まわせようとしたが、屋敷完成する前に勅使下向し兄天皇崩御伝えてきた。 山路長者本当身分明かし都に帰らなければならないことを告げた。しかし、般若姫は既に皇子の子身籠っており、共には上京できない状態であった翌年般若姫は女の子出産し、玉絵姫と名付けた般若姫は玉絵姫を長者夫婦預けると、千人余り従者引き連れて臼杵の港より都へ向けて出発した長者夫婦は山の上から船を見送り、その山は姫見ヶ岳と呼ばれるようになったまた、姫の一行は、途中豊前国小さな島立ち寄り、これが現在の姫島(大分県)である。 般若姫を乗せた船はしばらく順調に航海続けるが、周防国田浦にて暴風雨巻き込まれ遭難大畠漂着したところを地元村人救助され介抱を受けるが数日後他界享年19。 姫の死を悲しんだ長者は姫の菩提を弔う為、中国の寺へ黄金万両贈った。すると中国より法師長者為にやって来た。 長者満月寺建立して法師の居とし、石仏の製作を依頼した法師数年歳月をかけて深田の里一帯石仏彫った。これが現在の国宝臼杵石仏由縁である。 その後推古天皇時代長者97歳で、玉津姫は91歳でこの世去った

※この「民話として語られる伝説の骨子」の解説は、「真名野長者伝説」の解説の一部です。
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