毛皮の国とは? わかりやすく解説

毛皮の国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/16 02:28 UTC 版)

毛皮の国
Le Pays des fourrures
原書の扉絵[1]
著者 ジュール・ヴェルヌ
イラスト ジュール・フェラ
アルフレッド・ケネー・ド・ボルペール
発行日 1873年
発行元 P-J・エッツェル
ジャンル 海洋冒険小説
フランス
言語 フランス語
形態 雑誌掲載
前作 八十日間世界一周
次作 オクス博士
ウィキポータル 文学
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毛皮の国』(けがわのくに、Le Pays des fourrures)はジュール・ヴェルヌの冒険小説。雑誌掲載後、驚異の旅シリーズとして1873年に出版された[2]

ストーリー

カナダの交易所フォート・レリアンスのハドソン湾会社のレセプションに、兵士、インディアンの酋長、探検家パウリナ・バーネットと彼女の使用人マッジがつどった。それまでに、パウリナはブラマプトラ川から、チベットカーペンタリア湾などのオーストラリアの地図上の白い斑点を旅していた。今回彼女はカナダのはるか北への旅行を計画しており、北極圏への進出を目指すジャスパー・ホブソン中尉の遠征に同行したいと考えていた。

ロシアがアラスカをアメリカに売却する計画を知ったハドソン湾毛皮会社は、ホブソンにアメリカ大陸の北海岸に毛皮貿易のための新しい支店を設立するよう依頼しており、新しい基地は当時まだ疑われていた北西航路の代替として、蒸気船で太平洋を横断する貿易を可能にするためのものだった。

遠征には、1860年7月18日に極北での皆既日食観測を希望している天文学者トーマス・ブラックも参加した。ブラックは月が太陽の前を移動するときにのみ見える、太陽のコロナを観測することを計画していた。総勢19名の遠征隊は12台の犬ぞりで北に向けて出発する。ノースウエスト準州グレートベア湖を経由し、白夜の際にバサースト岬でようやく北緯70度線に到達し、ビクトリア半島にエスペランス砦を建設した。そこで彼らはアナグマオオヤマネコビーバーマスクラットテンイタチアカギツネなどの毛皮を持つ動物を狩った。

ところが驚いたことに、ここでは潮汐がほとんど確認できなかった。やがて、入植者の間で子供が生まれ、彼らは寒い極夜にビパークした。温度は最大マイナス52°Cという低い値に達したが、ホッキョクグマの攻撃から生き延び、イヌイットの家族の訪問を受けた。イヌイットの少女カルマはパウリナと友達になり、再訪を約束した。

極夜、彼らは突然地平線に炎の輝きを見る。どうやら火山が噴火したらしい。噴火は途方もない光景を展開し、地震が発生した。ホブソンは、弾薬、酒、薬などの新しい装備を携えた補給部隊を待ったが無駄であった。彼らは、潮汐がまったくないことを確認した。

日食を観測する遠征隊[3]

ついに1860年7月18日に日食が観測されたが、これは部分的なものであった。ブラックは太陽のコロナを観測できず、北極圏の北にある次の皆既日食は1896年8月9日まで起こらないため憤慨する。その後、ブラックは新たに現在地を測定し、彼らは自分たちのいる地点が変わったことを知る。

この半島は、実際は森林に覆われた流氷であり、地震の間に本土から離れ、現在北極海をあてもなく漂流していることが判明した[4]。彼らはまず軍隊の士気を損なわないように兵士を暗闇の中に押し込めた。彼らは小さな帆船を建造し、来たるべき冬に凍った海を渡るべく計画を立てる。

流氷が北米本土の近くに戻ると、カルマは彼らとの約束を果たすためにカヤックで流氷にやってきた。ホブソンはついに兵士たちに自分たちの状況を説明し、彼らは極地の冬に凍った海の上に抜け出そうとする。しかし、氷床に叢氷とリフトバレーが積み重なっているため、引き返さなければならなくなった。

その後、エスペランス砦は崩壊した氷の壁に埋もれてしまう。カルマ、パウリナ、マッジ、ブラックは、仲間によって埋もれた砦から救出されたが、帆船は失われてしまった。代わりとして入植者はいかだを作った。氷の半島はベーリング海峡を通過し、ゆっくりと南下して温暖な海域に入り、徐々に溶けていく。何度も何度も半島が外側から崩れていき、ついにいかだも失われてしまった。

捕鯨船が半島のそばを通過するが、入植者に気づかなかった。しかし、風をはらんだ帆は彼らの旅を速め、最終的にアリューシャン列島のブレジニック島でひどく溶けた流氷によってさらに加速され、ついにデンマークの捕鯨船によって救助された。

解説

1860年、実際にラブラドール地方の北東海岸沖で日食を観測する遠征隊が組織された。遠征隊はアメリカの天文学者でプリンストン神学校教授のスティーヴン・アレキサンダーが主導し、ケベック英国天文台長のエドワード・ディヴィッド・アッシュが同行した。これはアメリカ沿岸水路測量局の監督者であるA.D.バッシュが計画し、遠征を後援した。遠征隊はニューヨークを出港後、船員の遭難や、霧の中での氷山の間の航海、サンゴ礁での座礁などのトラブルを経て、アウテザヴィーク島(現在のノースオーラツィヴィク島)で観測が行なわれた。

主な登場人物

パウリナ・バーネット(中央)[3]
  • パウリナ・バーネット - 女性探検家
  • ジャスパー・ホブソン中尉 - 探検家
  • トーマス・ブラック - 天文学者
  • マッジ - パウリナの使用人
  • カルマ - イヌイットの少女

出版

『毛皮の国』は1872年9月20日から1873年12月15日にかけて、教育娯楽雑誌に連載され、驚異の旅シリーズとして前編が1873年11月13日に出版された。

日本語訳版

参考文献

  • Heinrich Pleticha, Jules Verne Handbuch, Deutscher Bücherbund / Bertelsmann, 1992
  • Volker Dehs, Ralf Junkerjürgen, Jules Verne. Stimmen und Deutungen zu seinem Werk, Phantastische Bibliothek Wetzlar, 2005
  • Volker Dehs, Jules Verne. Eine kritische Biographie, Artemis & Winkler, 2005. ISBN 3-538-07208-6

脚注

  1. ^ ジュール・フェラによる挿絵
  2. ^ Cf. Piero Gondolo della Riva: Bibliographie analytique de toutes les œuvres de Jules Verne. Tome I. Société Jules Verne. Pages 36-37. 1977.
  3. ^ a b アルフレッド・ケネー・ド・ボルペールによる挿絵
  4. ^ Jacques Crovisier (2004-2009). “Le Pays des Fourrures (1873) et l'éclipse solaire de 1860.”. 2019年12月30日閲覧。.

外部リンク


毛皮の国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/12 22:32 UTC 版)

ベルビュー (ネブラスカ州)」の記事における「毛皮の国」の解説

ベルビューとなった開拓地は、1822年セントルイス拠点とするミズーリ毛皮会社社長、ジョシュア・ピルチャーが毛皮貿易基地建設したときに始まった。この基地は後の1828年毛皮交易商ルシヤン・フォントネルズが購入してアメリカ毛皮会社のものとしてからフォントネルズポストと呼ばれた。この基地土着のオマハ族オトー族、ミズーリ族およびポーニー族インディアンとの交易中心になった。この地域ミズーリ川を見下ろす崖からの眺め美しかったので、初期フランス系カナダ人猟師が「ベルビュー」(フランス語美し眺め)と名付けた毛皮交易下火なりかけ1832年フォントネルはその基地アメリカ合衆国政府ミズーリ川インディアン代理局(ベルビュー代理局とも呼ばれた)に売却したバプテスト教会宣教師モーゼスエリザメリル夫妻1833年にここに到着しインディアン代理人基地一時滞在させた。 1835年メリル夫妻オトーと共に8マイル (13 km) 西に移動しオトー伝道所あるいはモーゼス・メリル伝道所よばれたものを設立したフォントネル基地1839年から1842年頃に放棄された。 セントルイス本拠地にする毛皮交易業者でルイジアナ・クレオールのピーター・サーピィ大佐ベルビュー川向い、後にアイオワ州となった地に交易基地建設した。そこではオレゴン、後にカリフォルニアゴールドラッシュ向うヨーロッパ人アメリカ人開拓者遠征隊に物資供給した1846年頃、サーピィはベルビューアイオワセントメアリーズの間に渡し舟就航させた。1850年代までに渡し舟1つ蒸気船に代わった。 サーピィは著名な実業家としてベルビュー地域社会の中で活動した。彼は町の区画割を行い組織化貢献した。さらにディケーターの町の区画割り行ったネブラスカ議会はサーピィが地域社会組織化貢献したことで、この地域サーピィ郡名付けたベルビューミズーリ川沿いに位置してプラット川流域にも近かったので、成長続けた。その社会東部からの工業製品西部からの毛皮を運ぶ中継になった1840年代から1850年代にかけてベルビュー繁栄した毛皮交易下火になってくると、ベルビュー1850年代10年間で混合経済移行したネブラスカ準州東部1854年開拓者開放されベルビューでは建設ブーム起こった第一長老派教会銀行ホテルおよび数多い個人宅新しく建設された。しかしこの建設ブーム短命だった。町の拡大によってベルビューネブラスカ準州州都選ばれるべきという考え方生まれたベルビュー準州最古都市であり、広く知られ開拓地だったので、住人楽観していた。新し準州知事フランシス・バートは既にベルビュー住い移していた。しかしその到着から間もなく死んだその後継者T・Bカミング準州都としてミズーリ川の北に新興間もないオマハ選んだ

※この「毛皮の国」の解説は、「ベルビュー (ネブラスカ州)」の解説の一部です。
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