初期の組織
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 15:18 UTC 版)
ショーバン船長がヌーベルフランスで毛皮貿易を支配しようとして最初に組織的試みを行った。1599年、フランス王アンリ4世から独占権を取得し、サグネ川河口(ケベック州タドゥサック)に植民地を造ろうとした。フランス人探検家達(および材木商達、例えばエティエンヌ・ブルーレ、サミュエル・ド・シャンプラン、ピエール=エスプリ・ラディッソンおよびメダール・ド・グロセイユール、ラ・サール、ル・シュール)は大陸を抜ける道を探りながら、アメリンディアンとの関係を確立し、ヨーロッパ人には「普通」と考えられる物と生皮との交易を拡げ続けた。動物の冬の毛皮は暖かいと評判になり、特にビーバー・フェルト帽に使われるビーバーの生皮はヨーロッパで高級品の象徴になった。これらビーバー・フェルト帽に対する需要によって、ヨーロッパやヨーロッパ・ロシアにおけるビーバーは乱獲のためにほとんど絶滅近くなっていた。 1613年アンリ・クリスチャンセンとアドリアン・ブロックはモホーク族やモヒカン族との毛皮交易関係を確立するために遠征隊を起こした。1614年までにオランダ人は毛皮貿易から大きな経済報酬を確保するためにマンハッタンに船舶を派遣していた。 ラディッソンおよびグロセイユールは最初の大きくて無免許の毛皮取引を拒否されて苦い思いをし、1668年にイギリスを貿易に引き込んだ。彼等はイングランドのチャールズ2世の政府とマサチューセッツ湾植民地ボストンの事業家を説得し、北のヌーベルフランスという最良の毛皮の国で作られる多額の金があると報せた。ハドソン湾会社は毛皮貿易人の何人かを捕まえることから始めて、北アメリカでは最初の商業会社になると共に、世界で最大の貿易会社になった。 一方、イギリス領南部植民地では、チャールストンを積出港として鹿皮貿易が確立された。アメリカ先住民の社会では大いに欲しがられたヨーロッパ製商品と生皮を交換してくれるという噂が先住民狩人の間に広まった。斧頭、ナイフ、千枚通し、釣り鉤、様々な種類と色の衣類、毛織りの毛布、リンネルのシャツ、薬罐、宝石、ガラス玉、マスケット銃、弾薬が「生皮」1枚と取り引きされる主要商品だった。 南部植民地の交易基地では、交換用に多くの種類のアルコール(特にブランディとラム酒)も紹介された。ヨーロッパの貿易業者が大陸に群がり集まり、交換で莫大な利益を上げた。例えば金属製斧頭1個が1枚のビーバー生皮(ビーバー・ブランケットとも呼ばれた)と交換された。同じ毛皮でイングランドでは数十の斧頭を買うことができ、毛皮貿易はヨーロッパ諸国にとって莫大な利益あるものになった。鉄の斧頭は先住民が辛苦して作っていた石斧に置き換わり、先住民もこの交易から少なからぬ利益を得た。
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