初期の窯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/22 00:42 UTC 版)
初期の窯は一般にレンガ製のすり鉢状で、底に空気取り入れ口がある。石灰石は20ミリから60ミリの大きさに均一に粉砕して使う。手で砕くことも多かった。窯に石灰石と石炭を交互に積み重ね、底から点火し、徐々に火が上に広がっていく。燃焼が終わったら、生石灰を冷やし、底の空気取り入れ口からかき集める。細かい石炭灰はふるいにかけて落とす。 燃焼には空気が通る隙間が必要なため、ある程度の大きさの石だけを使う。このことは同時に窯の大きさを制限し、そのために石灰窯はどれもほぼ同じような大きさになっていた。ある直径以上になると、燃焼が半分ほど済んだ状態で自重によって内容物が崩壊し、火が消えてしまう。そのため、1つの石灰窯で一度に生産できる生石灰は25から30トンとなっていた。一般に、中身を詰めるのに1日、燃焼に3日、冷却に2日、生石灰の回収に1日かかるため、1回の生産にちょうど1週間かかる。燃焼温度は毎回燃料(石炭)を混合する割合を変化させて試行錯誤で制御していた。窯の中心と外縁では温度がかなり違うため、生産される生石灰には燃焼不足のもの(すなわち、強熱減量がまだ高いもの)、ちょうどよい燃焼具合のもの、燃焼しすぎのものが含まれる。燃料効率も一般に低く、生石灰1トンを生産するのに0.5トン以上の石炭を必要とした(15MJ/kg)。 生石灰生産は時に工業規模で行われた。例えばノース・デヴォンのAnneryでは、運河と川の側に3つの窯がL字形に配置されていた。原料や燃料や製品の輸送を水上で行っていたが、後に砕石舗装された道が整備された。工業規模での生産では、7基の石灰窯を一組とすることで毎日いずれかの窯で生石灰を出荷できるようにするのが一般的だった。 ノーサンブリアのヘイドンブリッジにある大きな石灰窯は、生石灰を取り出すためのアーチが4箇所ある珍しい設計になっている。生産量が減ったときそのうちの2箇所を塞いだが、1989年にイングリッシュ・ヘリテッジが復元した。 鉄道網が整備されてくると、各地の小規模の石灰窯は採算がとれなくなり、19世紀末には大規模な工場に取って代わられるようになった。同じころ、化学工業、鉄鋼業、砂糖製造などの大規模化に伴って生石灰の新たな用途が生まれた。そのような需要の増大に対応すべく、石灰窯の効率化が行われるようになった。
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