歴史的な用語とは? わかりやすく解説

歴史的な用語

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 05:30 UTC 版)

類体論」の記事における「歴史的な用語」の解説

有限次拡大 L/K に対して [I𝔪 : H𝔪(L/K)] = [L : K] が成り立つとき、L を(高木の意味での)類体(class field)という。アルティン相互法則より、すべてのアーベル拡大は類体である。高木はこれを「アアベル体即ち類体」と言い表した。これを基本定理と呼ぶ。 任意の類体はガロア拡大であり、またそのガロア群アーベル群なので、類体は基礎の体上のアーベル拡大である。よって、基本定理合わせると、類体とアーベル拡大とは完全に同義である。こうして、類体論確立され結果アーベル拡大と類体は同じものであることが判明したため、類体論主要な結果に「類体」の語が現れないのであるアルティン相互法則から I𝔪/H𝔪(L/K) と Gal(L/K) は同型である。これを同型定理と呼ぶ。再びアルティン相互法則から、素イデアル 𝔭 のイデアル類群における位数拡大 L/K におけるこの素イデアル剰余次数等しい。これを分解定理と呼ぶ。歴史的には、同型定理分解定理が(基本定理などと一緒に)まず高木によって証明された後、アルティンによって相互法則証明された。現代ではこれらの定理アルティン相互法則の系として証明されるようになった。 H𝔪(L/K)を高木群(Takagi group)、アルティン写像アルティン群(Artin group)と呼ぶことがある。この言葉使えば相互法則対す主張は「アルティン群と高木群は等しい」と言い表すことができる。古くこのように言い表されていた。N𝔪(L/K)がアルティン写像に入ることは簡単に分かるので、このことの実質的な内容はP𝔪がアルティン写像に入るということである。

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歴史的な用語

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/17 04:59 UTC 版)

梅毒の歴史」の記事における「歴史的な用語」の解説

梅毒意味する "syphilis" という単語は、イタリア医師詩人ジローラモ・フラカストロによって、1530年ラテン語書かれパストラル詩梅毒またはフランスの病』(Syphilis sive morbus gallicus) の中で造り出された。 この詩の主人公は Syphilus という名前 (おそらくオウィディウス『変身物語』登場人物シピュロスの綴りバリエーション) の羊飼いである。Syphilus は、彼と彼の追随者たちがアポローンに対して示した反抗への罰として病気感染した最初の人物として描かれている。フラカストロ新し病気の名称をこの人物から取り彼の医学論文伝染病について」(De Contagionibus) でも用いたフラカストロ記述するころなどによると、当時梅毒イタリアマルタポーランドドイツでは「フランス病」と呼ばれており、フランスではイタリア病」と呼ばれていた。さらに、オランダ人は「スペイン病」、ロシア人は「ポーランド病」、トルコ人は「キリスト教徒の病」「フランク人 (西欧人) の病」と呼んでいた。こうした国名冠した名称は一般的に当時国家間政治的対立反映したものであり、一種プロパガンダとして頻繁に利用された。 例えば、プロテスタントオランダ人は、カトリックスペイン・ハプスブルク朝からの独立求めて戦い最終的に勝ち取ったが、梅毒を「スペイン病」と呼ぶことで、「スペイン人不道徳卑劣だ」という政治的に有用な認識強化された。また一方でこうした名称は、「受け手」の側から見た感染拡大のルート示唆するものでもある。こうした名称に根差す外国人嫌悪は、しばしば外国船乗り兵士土地売春婦頻繁な性的接触を行うことで拡散された、というこの病気疫学的特徴に基づくものでもあった。 16世紀の間、梅毒天然痘 (small pox) と区別するために "great pox" とも呼ばれていた。その初期段階では、梅毒天然痘のものに似た[要出典]発疹現れるためである。しかし、small pox のほうがはるかに致死性が高いため、この名前は誤解を招くものであった。"Lues" (Lues venerea、ラテン語で「性病疫病」)、"Cupid's disease" (クピードーの病)といった用語も梅毒を指すために用いられた。スコットランドでは梅毒は Grandgore または Spanyie Pockis と呼ばれていた。ポルトガルイギリス兵士たち苦しんでいた潰瘍は "The Black Lion" (黒いライオン) と名付けられていた。

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