歴史的な産業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/01 00:32 UTC 版)
「ブルワー (メイン州)」の記事における「歴史的な産業」の解説
ブルワーは19世紀にレンガ造りで有名であり、一方バンゴーは木材で有名だった。1850年代では、ブルワーに12ないし15のレンガ工場があり、毎年1,200万個のレンガを生産していた。これらの大半はボストンや近隣に送られた。ボストンのバックベイとサウスエンドの地区の大半はブルワーのレンガで造られたと言われている。ブルワーのフランク・O・ファーリントンが1859年にレンガの縁取りと回転させる機械の特許を取得した。 造船や製材業もブルワーの主要産業だった。ブルワーの製材所は、ペノブスコット川上流で滝の動力を使っていたのとは異なり、蒸気による動力を使っていた。19世紀と20世紀初期、かなりの量の氷生産業があり、ゲッチェル兄弟会社という形で今も残っている。 イースタン・マニュファクチャリング社が1869年にサウスブルワーでパルプと製紙工場を開設し、市内最大の雇用主になった。この工場は2004年に閉鎖され、その跡地は現在シアンブロ・コーポレーションが再開発している。イースタン・マニュファクチャリング社はフレッド・W・エアが所有する製材所として始まり、1880年代後半には余剰となった板材を使うために、新しく開発された亜硫酸塩法によって、紙を作る実験を始めた。1890年、エアは亜硫酸塩蒸解法の新しい特許を取得し、それがイースタン社の基本的工法となった。ミリノケットのグレート・ノーザン社も同じ方法を使い、競合するインターナショナル・ペーパー社が所有する重要な特許を回避できた。地元で「イースタン」と呼ばれたこの会社は1905年頃紙の品質で特化し始め(例えば商標の「アトランティック・ボンド」)その後、社名もイースタン・ファインペーパー, Inc. と変えた。
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