歴史への登場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 17:11 UTC 版)
「オルレアン包囲戦」も参照 ボードリクールは、ニシンの戦いに関するジャンヌの予言が的中したことを前線からの報告で聞き、協力者を連れてのジャンヌのシノン訪問を許可した。ジャンヌは男装し、敵であるブルゴーニュ公国の占領地を通りながらシャルル7世の王宮があるシノンへと向かった。シノンの王宮に到着してまもないジャンヌと余人を払って面会したシャルル7世は、ジャンヌから強い印象を受けた。 当時、シャルル7世の妃マリーとルネの母でアンジュー公ルイ2世妃のヨランド・ダラゴンが、オルレアンへの派兵軍を資金的に援助していた。ジャンヌは派兵軍との同行と騎士の軍装の着用をヨランドに願い出て許された。ジャンヌは甲冑、馬、剣、旗印などの軍装と、ジャンヌの協力者たちの軍備一式を寄付によって調達することに成功した。フランス王族がジャンヌに示した多大なる厚遇について、歴史家スティーヴン・リッチーは「崩壊寸前のフランス王国にとって、ジャンヌが唯一の希望に思えたからだろう」としている。 度重なる屈辱的な敗戦でフランスの軍事力も国力も瓦解し、その指導力は失墜しきっていた。王太子シャルルがジャンヌの突拍子もない軍備の要求を認め、さらには軍の指揮官の一人に据えた背景には、それまで試みてきたありとあらゆる正攻法が失敗に終わったことに大きな原因があろう。崩壊寸前の絶望的な状況に置かれた政権のみが、母国の軍を率いて勝利せよという神の声を聴いたなどという無学な農夫の娘の訴えに耳を傾けるのだ。 — Stephen W. Richey、"Joan of Arc: A Military Appreciation" 神の声を聴いたと公言するジャンヌの登場は、長年にわたるイングランドとフランスとの戦いに宗教戦争的な意味合いを帯びさせ始めた。しかしながら、ジャンヌの存在は大きな危険をもはらんでいた。シャルル7世の顧問たちは、ジャンヌの宗教的正当性が疑問の余地なく立証されたわけではなく、ジャンヌが異教の魔女でありシャルル7世の王国は悪魔からの賜物だと告発されかねないことに危機感を抱いた。 ジャンヌを異端とみなす可能性を否定してその高潔性を証明するために、シャルル7世はジャンヌの身元調査の審議会と、ポワチエでの教理問答を命じた。そして1429年4月にジャンヌの審議にあたった委員会は、ジャンヌの「高潔な暮らしぶり、謙遜、誠実、純真な心映えのよきキリスト教徒であることを宣言」した。一方で教理問答に携わったポワチエの神学者たちは、ジャンヌが神からの啓示を受けたかどうかは判断できないとした。ただし、ジャンヌの役割の聖性を創りあげるに足る「有利な憶測」をシャルル7世に伝えた。 これらの結果だけでシャルル7世にとって十分なものだったが、顧問たちはジャンヌを王宮に呼び戻してシャルル7世自らがジャンヌの正当性を正式に認める義務があるとし「証拠もなく彼女(ジャンヌ)が異端であると疑い、無視するのは聖霊の否定であり、神の御助けを拒絶するも同然」だと主張した。ジャンヌの主張が真実であると認定されたことは、オルレアン派遣軍の士気を大いに高めることにつながった。3月22日、ジャンヌはシャルル7世が派遣したジャン・エローに依頼してオルレアンのイングランド軍指揮官(サフォーク伯ウィリアム・ド・ラ・ポール、ジョン・タルボット、トーマス・スケールズなど)に向けた降伏勧告文を口述筆記させた(実際に書簡が送られたのは4月24日から27日の間)。 イングランド軍が包囲していたオルレアンにジャンヌがラ・イル、ジル・ド・レらとともに到着したのは1429年4月29日だった。当時オルレアン公シャルルはイングランドの捕虜となっており、異母弟ジャン・ド・デュノワがオルレアン公家の筆頭としてオルレアンを包囲するイングランドに対する攻略軍を率いていた。当初デュノワはジャンヌが作戦会議へ参加することを認めず、交戦の状況もジャンヌに知らせようとはしなかった。しかしながら、このようなデュノワの妨害を無視して、ジャンヌは多くの作戦会議に出席し、戦いにも参加するようになった。 ジャンヌに軍事指揮官としての能力があったかどうかは歴史的な論争になっている。エドゥアール・ペロワのような伝統的保守的な歴史家たちは、ジャンヌは旗手として戦いに参加し、兵士の士気を鼓舞する役割を果たしたとしている。この説は、ジャンヌが剣を振るうよりも旗を持つことを選んだと、のちの異端審問の場で証言したとされていることを根拠としている。この説に対し、異端審問の無効性を重視する立場の現代の研究者は、ジャンヌが優れた戦術家で、卓越した戦略家として軍の指揮官たちから尊敬されていたと主張している。スティーヴン・リッチーもジャンヌが優れた指揮官だったとしている研究者で「彼女(ジャンヌ)がフランス軍を率い、その後の戦いに奇跡的な勝利をおさめ続けて戦争の趨勢を完全に逆転した」としている。ただし、どちらの説をとる研究者でも、ジャンヌが従軍していたときのフランス軍が快進撃を続けたという点では一致している。
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