歴史や事例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/10 06:20 UTC 版)
バッカニア(Buccaneer)は、当時の他の船と同様に、とりわけ乗組員の行動を統制する船の掟の下に活動していた。これらの「合意条項」はどの国からも独立した権威となり、さまざまな意味でChasse-Partie、Charter Party、Custom of the Coast、またはJamaica Disciplineと呼ばれた。後世に、これらは海賊の法典として知られるようになった。掟は船長によって異なり、時に航海の度にも異なったが、懲罰規定、戦利品の分配規則、負傷者に対する補償規定など、共通点も多かった。 各乗組員は、掟に署名または印を付けるように求められ、それから忠誠や名誉の宣誓をした。宣誓は時々、聖書を使って行われたが、聖書が無かったジョン・フィリップスの部下は斧で誓いを行った。伝説によれば、他の海賊では交差したピストルや刀を使った場合や、あるいは人間の頭蓋骨に誓ったり、大砲を跨ぐということもあった。この行為によって署名者を正式に仲間に迎え入れ、一般に役職決めや問題解決の投票、武装、略奪の分け前を得る権利を与えた。署名された掟は目立つ場所に、しばしば船長室の扉に掲示されていた。 海賊の略奪によって拿捕された船から、新しい乗員を確保し、掟に署名させることがあった。これは場合によっては自発的に、他には拷問や死の恐怖から逃れるための仲間入りだった。船大工や航海士などの貴重な海の専門家・技術者は、無理やり掟に署名させられる可能性が高く、署名せずとも、解放されることは滅多になかった。一方では自ら進んで仲間入りした場合であっても、あくまで海賊たちに署名を強要されたような形式を要求する者もいた。というのも、もし当局に拘束された場合に、強制的に従わされたと抗弁する余地が生まれるからである。一般的に掟に署名しなかった者は、当局に捕らえられた時に、裁判で無罪判決を下される機会が非常に多かった。 海賊たちによる掟は、当時の一般船舶での合意、特に私掠船での合意と綿密に関係しており、そこから派生したものである(一般的に海賊のものよりも不平等なものであったが)。商船や私掠船の合意は中世ヨーロッパに遡ることができ、商人や船の所有者と、船員たちとの間での利益を共有するための「joint hands」の協定のシステムに見ることができる。
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