標津遺跡群とは? わかりやすく解説

標津遺跡群
伊茶仁カリカリウス遺跡
古道遺跡
三本木遺跡

名称: 標津遺跡群
 伊茶仁カリカリウス遺跡
 古道遺跡
 三本木遺跡
ふりがな しべついせきぐん いちゃにかりかりすいせき ふるどういせき さんぼんぎいせき
種別 史跡
種別2:
都道府県 北海道
市区町村 標津郡標津町
管理団体 標津町(昭54・9・3)
指定年月日 1976.06.21(昭和51.06.21)
指定基準 史1
特別指定年月日
追加指定年月日 平成1.10.20
解説文: S54-6-057[[標津]しべつ]遺跡群 (旧名称古道遺跡.txt: 北海道東岸根室半島知床半島中間には、オホーツク海にそそぐ標津川見られる。この標津川西岸には標津湿原呼ばれる低湿地ひろがり、さらに西方標高20メートル前後の標津丘陵地展開する。この低丘陵の西裾には標津湿原から流れ出た小流ポー川が、また北裾には伊茶仁川があり、集落形成する好適となっている。
 この標津丘陵地縁辺には、伊茶仁カリカリウス遺跡総称される擦文時代中心とする集落跡が群在する。まず、ポー川にそう丘陵の東縁には、南のポー川支流南側侵蝕谷の左右に2群、同支流北側の奥寄り侵蝕谷上に1群、同支流ポー川合流点面した丘陵端におそらく3群が混在したかと思われる1群、その北方直線的な丘陵縁に見られる侵蝕谷の左右奥方に3群、ポー川ぞいの丘陵北端部の侵蝕谷の左右に2群があり、常に侵蝕谷の左右時には奥をも含め一種の対ともいうべき定まった構造集落営まれ、5谷11群、589住居跡存在たしかめられている。次に伊茶仁川にそう丘陵の北縁には3侵蝕谷が見られるが、東とは異なり侵蝕谷の左右に在す傾向見られるもののその群界は明確ではなく652の住居跡確認されている。本遺跡オホーツク海面する擦文時代中心とする時期集落としては規模大きく稠密な在り方を示すものとして重要である。
 古道遺跡は、昭和51年6月21日史跡指定されたものであるが、この地域遺跡広域保有をはかるため標準遺跡群として今回統合するのである。約2万平方メートル範囲内擦文時代中心とする竪穴住居跡146、小竪穴73があり、オホーツク沿岸遺跡としては中規模集落である。住居配置計画性認められるなど、規模性格において伊茶仁カリカリウス遺跡と好対称となっている。2遺跡とも竪穴住居・小竪穴凹地として明確にのこされ、その形態多く場合、深い方形呈することが指摘されている。両遺跡内部にはそれぞれ1基ずつチャシ存在確認されており、集落チャシの関係を解明する上で重要な遺跡である。
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標津遺跡群

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/26 13:44 UTC 版)

標津遺跡群(しべついせきぐん)は、北海道標津郡標津町字標津に所在する擦文文化オホーツク文化の集落跡を代表する広域的な遺跡群である。伊茶仁カリカリウス遺跡、古道遺跡、三本木遺跡の3つの遺跡と、伊茶仁川沿いに残された遺跡群から成っており、最大の特徴は、現在の地表面から数千年前の竪穴建物跡が窪みとして確認でき、しかもその数が日本最大の規模を誇ることである[1]


  1. ^ 根室振興局 標津遺跡群伊茶仁カリカリウス遺跡古道遺跡三本木遺跡(ポー川史跡自然公園)
  2. ^ a b c 竹田輝男「標津遺跡群」文化庁文化財保護部史跡研究会監修『図説 日本の史跡 第1巻 原始1』同朋舎出版 1991年 34ページ
  3. ^ a b c 標津遺跡群 伊茶仁カリカリウス遺跡・古道遺跡・三本木遺跡 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  4. ^ 北海道文化資源データーベース
  5. ^ a b 「ポー川史跡自然公園」ホームページ(標津町)


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