構造、艤装と乗組員
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/06 02:39 UTC 版)
「レオポルドゥス・プリムス」の記事における「構造、艤装と乗組員」の解説
艦の大きさと外見については、姉妹艦の「ヴァーペン・フォン・ハンブルク」と同様に有意義な資料がほとんどない。寸法は伝わっておらず、当時は一般的であった模型についても一切が不明である。そのため外見は数少ない確実な絵画や、1685年から伝わるヴァーペン・フォン・ハンブルク(二代目)の船舶設計図(ドイツ語版)から再現するしかない。 その再現に拠ると、「レオポルドゥス・プリムス」は二層式(英語版)で平らな艦尾を備えた横帆船であった。両艦がヨーロッパの他国と同様に、主流のネーデルラントの建造様式を模倣したのは確実とされる。クィンガーは「レオポルドゥス・プリムス」と「ヴァーペン・フォン・ハンブルク」のどちらもネーデルラント海軍の旗艦、「エミリア(英語版)」を多少なりとも模倣していると推測している。それに従うと「レオポルドゥス・プリムス」の全長はちょうど40メートル、全幅はほぼ11メートルであった。エルベ川の浅瀬を通過してハンブルクに至るため、「レオポルドゥス・プリムス」の艦体はいわゆる「ロッテルダム型」の形状で造られていた。つまり艦体下部には屈曲があり、艦の喫水と復元性が変わらない場合において、艦体が丸みを帯びる同規模の艦船と比べ、遥かに喫水が浅くなるようになっていたのである。 艦尾は板によって平らに切れており、そこには上図のレオポルト1世の像が固定されていた。船尾板はクォーター・ギャラリー(英語版)とともに構造上、一体となっている。船尾板と船尾楼は外交上の理由により、芸術的なバロック様式の彫刻で装飾されていた。例えば恐らくレオポルト1世像の上に、船尾板の終端部としてライオンの像が2つあった。この像はヒッポカムポス、イルカその他の海洋生物の彫像に囲まれていた可能性がある。また、他の多くの部分にも彫刻や装飾が施されていた。舷側には、舷墻(ドイツ語版)を含むガンネル(英語版)まで板が張られていた。艦の板張り(ドイツ語版)は平張りであった。すなわち、板の両端は丸みを帯びて接触しており、滑らかな表面を形成していた。 「レオポルドゥス・プリムス」は3本のマスト、すなわちフォアセイル、フォア=トップスルとフォア=トゲルンスルを伴うフォアマスト(英語版)、メーンスル、メーントップスルとメーン=トゲルンスルを伴うメインマスト(ドイツ語版)およびクロスジャッキとスパンカー(英語版)を伴うミズンマスト(ドイツ語版)を備えていた。さらに、複数の小さな帆を伴うバウスプリットもあった。帆の色は黄土色から灰色であったと思われる。一方、白であったとは考えられない。護衛艦としての任務に最も重要な艤装だったのは、大砲である。「レオポルドゥス・プリムス」には合わせて54門が搭載されていた。最も大口径の砲は通例に従って下部の砲甲板に、より軽量の砲は上部の砲甲板や左舷、並びに後部甲板に置かれていた。姉妹艦である「ヴァーペン・フォン・ハンブルク」に関しては下記の構成が再現されており、「レオポルドゥス・プリムス」も同様であったと思われる。 18ポンド砲×26門 8ポンド砲×18門 6ポンド砲×4門 4ポンド砲×6門 同艦には砲より多くの砲門(英語版)が設けられており、砲の配置転換が可能になっている。大砲は恐らく鋳鉄製である。青銅は外交用の数少ない砲にのみ用いられたと考えられている。これらの大砲の一部は提督府の発注によって製造されたり、ほかにはハンブルク市内や外部から購入されたりした。「レオポルドゥス・プリムス」が長期間にわたって港内に停泊していた間、砲は降ろされ、すぐに護衛艦の艤装を担当する護送船団武器庫に運ばれた。これらが艦に戻されるのは、次の航海が迫ってからである。この背景には、大砲をハンブルクの防衛に使えるようにするという施策の一つがあった。例えば1686年、ハンブルクがデンマーク軍に攻撃された時、護衛艦の砲は市壁に回されている。それらの砲が艦船に戻されたのは、1687年5月になってからのことであった。 「レオポルドゥス・プリムス」の乗組員は、航海の長さと目的に応じて150名から250名で構成されていた。その内、艦長と副官を含む15名から20名が士官であったが、説教者と兵の指揮官もその数に入っていた。本来の乗組員が俸給を受け取ったのは、航海の間のみであった。しかしハンブルクでは同時代のイングランドの慣行と異なり、船員の強制徴募は行われない代わり、市内その他の重要な周旋場で募集された。装備、衣装箱(ドイツ語版)、背負い袋、ハンモックや衣服は船員が自分で用意することとされた。どちらかと言えばみすぼらしいそれらの服は、多くの船乗りがボロ布から自分で作ったものである。船上の劣悪な衛生環境は、戦死者1名に対し病没者が最大4名に上るという結果に繋がっている。 上記の人数には、一時的に募集された兵員40名から60名も含まれている。彼らは常設の、訓練を受けたハンブルク守備隊から抽出され、市の司令官の命令で「レオポルドゥス・プリムス」その他の護衛艦に配置されていた。そして船員とは対照的にハンブルク市軍の制服を身に纏い、戦闘における本来の任務と並んで艦の秩序を維持する役目も担ったのである。
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