構造・計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/15 06:26 UTC 版)
築城・設計の責任者は、藩勘定奉行の犬塚一郎治。藩校の教授(算術稽古頭取)であった算学者の磯辺泰(1836年 - 1912年)が縄張を行った。 函館五稜郭や、信濃国龍岡城などに見られる西洋風の稜堡式(星形要塞ではなく、より進んだ多角形要塞となっている)で、九十九里浜を望む木戸川東岸の台地上に築き、中央の最高地に藩庁を、土塁で区切った部分に太田家の家紋にちなんだ「桔梗台」と名付けた台地を造成し、藩知事邸を造り、長屋門を設置した。その他城内に兵舎や物産会所、米倉などを建設し、郭外には侍屋敷を町割りして土塁と堀で囲む計画となっていた。
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