松尾城 (上総国)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 松尾城 (上総国)の意味・解説 

松尾城 (上総国)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/15 07:56 UTC 版)

松尾城(まつおじょう)は、現在の千葉県山武市松尾町にあった日本の城明治維新期、柴山藩(松尾藩)によって築城に着手され藩庁も置かれたが、城は完成に至らぬまま廃藩置県を迎えた。「松尾」の名は、知藩事太田資美の旧領であった掛川城の別名に由来する。別名「太田城」。


注釈

  1. ^ 日本最後の城」の定義により、複数の城がこう呼ばれる。松山城(1854年に天守(再建)が完成し現存)、松前城(1849年に幕府が築城許可、1854年完成。天守を有した日本式城郭)、福江城(1849年に幕府が築城許可、1863年完成。天守のない日本式城郭)、五稜郭(幕府により1857年着工、1864年完成。稜堡式城郭)、龍岡城(1864年に建設開始、1867年完成。稜堡式城郭。藩の格では陣屋)、園部城(1868年に明治政府が築城(陣屋からの改修)許可、1869年に完成)など。松尾藩と同様に移転された諸藩も、鶴舞藩長尾藩花房藩が新規築城を試みている(いずれも未完)。
  2. ^ 徳川宗家の家達が、静岡藩30万石に封じられたことに伴う措置である。それまで駿河国三河国にあった藩は、上総・安房に代替地を与えられ移転した。掛川藩→松尾藩(5万石)のほかに、駿河沼津藩→上総菊間藩(5万石)、駿河小島藩→上総桜井藩(1万石)、遠江相良藩→上総小久保藩(1万石)、遠江田中藩→安房長尾藩(4万石)、遠江横須賀藩→安房花房藩(3万5000石)、遠江浜松藩鶴舞藩(6万石)がある。
  3. ^ 1889年に町村制が施行されると、この4か村を含む周辺地域は「松尾村」となった。のちに松尾町となり、2006年に山武市になった。

出典

  1. ^ a b c d e f g h さんむのふるさと散歩 No.7 ”. 広報さんむ. 山武市 (2007年1月). 2017年5月11日閲覧。
  2. ^ 磯部泰”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus(コトバンク所収). 2017年5月11日閲覧。


「松尾城 (上総国)」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「松尾城 (上総国)」の関連用語

松尾城 (上総国)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



松尾城 (上総国)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの松尾城 (上総国) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS