土塁と堀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/24 08:54 UTC 版)
山科の地は交通の要所ではあったが、要害の地ではなかった。この地が選ばれたのは防衛を目的にしたものではなく、宗教上の理由が高いと考えられるが、次第に周囲との軋轢が生じるに伴い防御能力を増していったのではないかと思われ、地形の弱点をカバーするため『戦国の堅城』では複雑な土塁と堀を用いたと解説している。平城の防御能力を増すために最も良い方法は、城内の様子を敵方に解らなくすることで、その為に巨大な土塁を築いたのではないかと考えられている。 また昨今の発掘調査で土塁、堀の構造が明確になってきた。土塁に関しては、高く積み上げるため粘質土と砂礫(されき)や石を層にして交互に内側に向けて積み上げていく工法や、「大ホリ」と言われる部分では、幅12m、深さ4mと巨大な堀が発掘され、この正面には排水するための石組暗渠が確認されている。
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