岡本城の縄張と現在
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/16 23:01 UTC 版)
「岡本城 (下野国)」の記事における「岡本城の縄張と現在」の解説
岡本城は、高台になっている台地の角隅に築かれており、方形主郭を台地が突出した最北端に築き、その主郭を、ほぼ"へ"の字型の堀と曲輪を重ねて守る梯郭式の城と考えられている。但し、遺構は主郭周辺によく残っているものの、二の郭以降の曲輪は、長年の開発により時代を経てほとんど壊滅しており、三重堀説と五重堀説があり、議論が分かれている。 また、岡本城の北側約500mのところにも、岡本富高が築いたと伝わる居館跡の土塁と堀が僅かに残っており、名目的には別の城として扱われているが、機能的には、岡本城の出丸として位置づけられていたものと考えられている。
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