高原諏訪城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/01 08:15 UTC 版)
高原諏訪城 (岐阜県) |
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主郭の様子
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城郭構造 | 山城 |
築城主 | 江馬時経 |
築城年 | 不明 |
主な改修者 | 江馬氏 |
主な城主 | 江馬氏 |
廃城年 | 1582年(天正10年) |
遺構 | 曲輪、土塁、堀 |
指定文化財 | 国の史跡(「江馬氏城館跡」の1つ) |
位置 | 北緯36度19分23.5秒 東経137度18分52.9秒 / 北緯36.323194度 東経137.314694度 |
地図 |
高原諏訪城(たかはらすわじょう)は、岐阜県飛騨市神岡町殿に所在する日本の城。国の史跡「江馬氏城館跡」を構成する城館群の1つ[1]。
概要
室町時代に江馬時盛、時経らが築城したとされ、江馬氏の本拠地であった。しかし、天正10年(1582年)の八日町の戦いで江馬輝盛が三木自綱に敗れ戦死すると、小島城主・小島時光によって攻められ、大雪で防御柵なども破損していたことなどもあり、防御体制が万全でなかったために落城し、廃城となった。これにより、高原郷の領主としての江馬氏は滅亡することになった。
遺構には土塁と堀、曲輪がある。特に堀切は大規模なものが現存している。
「江馬氏城館跡(下館跡、高原諏訪城跡、土城跡、寺林城跡、石神城跡、麻生野城跡、政元城跡)」の1つとして1980年(昭和55年)3月21日に国の史跡に指定されている[2]。
アクセス
- 国道471号から1.5キロメートル。
脚注
- ^ 「飛騨市内の文化財一覧」飛騨市公式HP(飛騨市の文化財)
- ^ 「江馬氏城館跡」飛騨市公式HP(飛騨市の文化財)
関連項目
外部リンク
- 「飛騨市の文化財」飛騨市公式HP
高原諏訪城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/26 17:39 UTC 版)
飛騨市神岡町和佐保。下館の背後、城山山上に築かれた山城で山之村道と上宝道を監視し有事の際には詰城として用いられた。主に土塁と堀によって構成されているが、築城者及び築城時期は不明。天正10年(1582年)の八日町の戦いで落城している。
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