石神城とは? わかりやすく解説

石神城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/14 14:11 UTC 版)

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石神城
岐阜県
別名 二越城、杏城
築城主 江馬時経
築城年 不明
廃城年 天正10年?
遺構 曲輪、堀切、土橋、竪堀、虎口
指定文化財 国指定史跡
位置 北緯36度18分27.9秒 東経137度14分49.3秒 / 北緯36.307750度 東経137.247028度 / 36.307750; 137.247028
地図
政元城
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石神城(いそのかみじょう)は、岐阜県飛騨市神岡町石神にあった日本の城。別名を二越城あるいは杏城と称する[1]江馬氏城館跡を構成する遺跡の一つとして昭和55年(1980年)3月21日に国の史跡に指定された[2]

上宝道を見下ろす比高100mの山上に築かれている[3]。主郭は東西27m、南北19mで[4]、南側の尾根に堀切、西の入口には虎口が設けられている。その西には土橋があり、南北に竪堀が築かれて侵入を阻む構造となっている。さらに西の尾根の端にも土橋を有する堀切がある[5]

正確な築城時期は不明であるが、江馬家後鑑録に江馬時経が築いたと記されている[6]。天正10年(1582年)に江馬氏の滅亡の際に落城したとみられる。


脚注

  1. ^ 神岡町編 『神岡町史 通史編1』 2009年 p.227
  2. ^ 船橋正 岐阜県の文化財 1998年 p.322
  3. ^ 岐阜県教育委員会 岐阜県中世城館跡総合調査報告書第4集(飛騨地区・補遺) 2005年 p.131
  4. ^ 飛騨市教育委員会 江馬氏城館跡VI 2010年 p.20
  5. ^ 岐阜県教育委員会 岐阜県中世城館跡総合調査報告書第4集(飛騨地区・補遺) 2005年 p.131
  6. ^ 岐阜県教育委員会 岐阜県中世城館跡総合調査報告書第4集(飛騨地区・補遺) 2005年 p.131

関連項目


石神城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/26 17:39 UTC 版)

江馬氏城館跡」の記事における「石神城」の解説

飛騨市神岡町石神の上道沿いにある山の頂にあり、集落を見下ろす位置にある。江馬時経築城したと伝わり腰曲輪持たない高原諏訪城以前居城可能性指摘されている。

※この「石神城」の解説は、「江馬氏城館跡」の解説の一部です。
「石神城」を含む「江馬氏城館跡」の記事については、「江馬氏城館跡」の概要を参照ください。

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