石神啓吾とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 石神啓吾の意味・解説 

石神啓吾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/15 00:43 UTC 版)

石神啓吾

石神 啓吾(いしがみ けいご、1907年明治40年)8月31日[1]2001年平成13年)8月21日[2]) は、昭和期の政治家衆議院議員(1期)、宮崎県東諸県郡高岡町長。

経歴

宮崎県[3]東諸県郡高岡村[4]高岡町[5]を経て現宮崎市[2])で、教育者・石神徳蔵[注釈 1]の息子として生まれた[4]旧制宮崎県立都城中学校を経て[6]第七高等学校造士館で学んだ[3][4]

宮崎県会議員に選出され、同参事会員も務めた[3][4][2][5]

戦後、1946(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙に宮崎県全県区から日本社会党所属で立候補して落選[7]。1947(昭和22年)4月の第23回総選挙旧宮崎県第2区から立候補して当選し[8]、衆議院議員に1期在任した[3][4][2]。1949年(昭和24年)1月の第24回総選挙に立候補したが落選した[9]

その他、高岡町長、同町教育委員長を務めた[3][4][2]

2001年(平成13年)8月21日、死去した。93歳没。死没日付をもって従五位勲四等に叙され、瑞宝章を追贈された[10]

脚注

注釈

  1. ^ 郡長も務めた。『宮崎県政外史』637頁。

出典

  1. ^ 『第三回国会 衆議院議員名簿』32頁。
  2. ^ a b c d e 『現代物故者事典 2000~2002』46頁。
  3. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』58頁。
  4. ^ a b c d e f 『宮崎県政外史』637頁。
  5. ^ a b 『大衆人事録 第14版 近畿・中国・四国・九州篇』宮崎1頁。
  6. ^ 『第七高等学校造士館一覧 自大正十五年四月至大正十六年三月』(1926年10月12日)166頁。
  7. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第22回』1731頁。
  8. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第23回』597頁。
  9. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』381頁。
  10. ^ 『官報』第3209号13-14頁 平成13年9月27日号

参考文献

  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 近畿・中国・四国・九州篇』帝国秘密探偵社、1943年。
  • 『第三回国会 衆議院議員名簿』衆議院公報附録、1948年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第22回』衆議院事務局、1950年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第23回』衆議院事務局、1948年。
  • 宮崎県政外史編纂委員会編『宮崎県政外史』宮崎県政外史刊行会、1967年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『現代物故者事典 2000~2002』日外アソシエーツ株式会社、2003年。
  • 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  石神啓吾のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「石神啓吾」の関連用語

石神啓吾のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



石神啓吾のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの石神啓吾 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS