桂三弥とは? わかりやすく解説

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桂三弥

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/27 01:05 UTC 版)

桂 三弥(かつら さんや、1971年(昭和46年)9月28日 - 2019年(令和元年)6月4日 )は、三重県名張市出身の落語家上方噺家)。本名∶三成 忠司吉本興業に所属していた。上方落語協会会員。名張市初代観光大使[1][注 1]。師匠は6代桂文枝出囃子は「お若いの」[注 2]


注釈

  1. ^ a b 2013年7月25日からは音楽家・竹田京右が、2013年8月13日からはWエンジンのチャンカワイが名張市観光大使に就任し、現在名張市観光大使は三人に【参照:「名張市観光大使・竹田京右さん就任」(伊賀タウン情報YOU)/「Wエンジン・チャンカワイさんが観光大使に 名張市」(伊賀タウン情報YOU)】
  2. ^ 三弥曰く「(落語家になり)10年を過ぎたころ、三味線の御師匠さんに『あんたもそろそろ10年経ったけれど』と一週間出番があった時に日替わりで色々な曲を弾いてもらい、その中から明るくテンポ良く出れるなと思いこの曲を選んだ」。かつて担当していた番組内で落語が始まる時に流れた曲がこの出囃子である。なお、自分の出身地や名前にちなんだ曲(例:「福知山音頭」「三百六十五歩のマーチ」)を出囃子にするケースもあるが、三弥曰く「(自分の名前の読みと同じ)『山谷(さんや)ブルース』という有名な歌があるけれど、『今日の仕事は辛かった』という歌詞が(今から落語をしようとする出囃子にするには)一寸・・・」【出典:2013年(平成25年)1月11日OA「桂三弥の出前寄席・1席目」】
  3. ^ 当時の陸上部マネージャーによると、入学当初の三弥は背が低く長距離向きではないかと長距離に決まったとのこと。また在学中の恋愛に関しては「聞いたことがない」と部活一筋な学生生活を思わせる内容。マネージャーも「(三弥は)異性と意識せずに話せた」。三弥本人によると「先輩達が(同校OBで三弥と入れ替わり卒業した)真面目な性格の実兄を知っているため迂闊なことは出来ないと入学時を過ごし、3年時には実妹が入学したため今度は妹の手前迂闊なことは出来ないとプレッシャーを感じて過ごしていた」。【出典:2011年(平成23年)11月8日OA「You Gotta Music アラフォーの逆襲・桂三弥のルーツを探せ」】
  4. ^ 4回生の時に阪神・淡路大震災に遭遇。18年を経て当時を振り返った三弥曰く「1単位でも落としたら留年という瀬戸際で、翌日(1月17日)から始まる試験のため、ノートを借りに後輩の家に。夜遅くそのまま泊ったことで震災の(直接の)被害から免れた。(この出来事は)『自分のやりたいことをやっていこう』と決断したきっかけの一つになった」【出典:2013年(平成25年)1月18日OA「桂三弥の出前寄席・1席目」】
  5. ^ 「司会やコントが多かったため落語の演目をあまり覚えていなかった」【出典:2012年(平成24年)1月10日OA「You Gotta Music」】
  6. ^ 大学を卒業してフリーターをしていた時に師匠の弟子だった大学の先輩から声がかかり、1997年1月4日に行われた師匠の新年会に手伝いに来るようにと呼ばれた。新年会も終わろうかという頃に師匠に呼ばれ、色々と質問された後「落語は好きか?」と問う師匠に「はい」と答え「明日から来るか?」と師匠からの言葉をもらい入門した【出典:2012年(平成24年)1月3日・4日OA「三弥の寄席にいらっしゃい」】
  7. ^ 実兄のクラウンを一回だけ運転していたことから、師匠との面談の際に「クラウン運転してました」と答えたところ、入門直後に師匠の高級車を運転することになった。しかし運転席に座った途端にパーキングブレーキの位置が解らずに戸惑ってしまい、その様子を見た師匠に「お前何してんねん」と突っ込まれ、子細を白状した三弥。以後師匠のことを運転することはしばらくなかった。【出典:2012年(平成24年)1月10日OA「You Gotta Music」】
  8. ^ 当初予定されていた配役(消防署署長・石井潤一郎)は演目の中での重要度が高く、本業との掛け持ちの中で畑違いの演技の特訓に苦労する様子がケーブルテレビ番組の中で紹介された。結果的にその役は降板し別の役(消防士1)を務めた。
  9. ^ 2006年(平成18年)5月28日(日)
  10. ^ 2007年(平成19年)5月20日(日)から5月24日(木)の5日間
  11. ^ この日の番組に兄弟子の桂三歩がゲスト出演。得意の早口言葉を披露したり、司会進行の三弥をフォローするなどその存在感を遺憾なく発揮した。大の酒好きで師匠(六代桂文枝)の酒を呑んでしまったり、一日も酒を切らした日がなかった自身のエピソードを語る桂三歩に対し、三弥曰く「そこだけは(三歩)兄さんに並んだかもしれない」【出典:2011年(平成23年)11月8日OA「You Gotta Music アラフォーの逆襲・桂三弥のルーツを探せ」】
  12. ^ 江戸落語では「[[新聞記事 (落語)|]]」に当たる。この演目をこの日にもって来たのは、和光寺での落語を控えていたため【出典:2013年(平成25年)2月22日OA「桂三弥の出前寄席・1席目」】
  13. ^ 別名を「七の字」とも言う。原話は安永の頃に刊行された笑話本「小立鍋」の中の「無筆」【出典:「笑い学講座 第20回:落語2」(帝京平成大学HP内)】
  14. ^ 江戸落語では「反対俥」に当たる
  15. ^ この噺を東京に移植したものを「堀の内」という。「(この噺の)愛宕さんは京都にありまして、かわらけ投げ愛宕山(の山頂)に・・・」【出典:2013年(平成25年)4月12日OA「桂三弥の出前寄席・1席目」】
  16. ^ 江戸落語の「稽古屋」の前半部分に相当する。三弥曰く「この(噺の)後『いもりの黒焼』に繋げたりしますが、それはまた別の機会に」【出典:2013年(平成25年)4月19日OA「桂三弥の出前寄席・1席目」】
  17. ^ 江戸落語では「家見舞」に当たる。本来のサゲは「ババ(『糞』の方言と『婆』)が浮かぶ」(年増の芸者が浮かれる)だが、今回はアレンジしたサゲ披露【出典:2013年(平成25年)3月8日OA「桂三弥の出前寄席・1席目」】
  18. ^ a b 補足:「牛ほめ」の短縮版が「普請ほめ」
  19. ^ 江戸落語では「たらちね」に当たる
  20. ^ 江戸落語では「もぐら泥」に当たる
  21. ^ 原話は1705年(宝永2年)刊行の初代初代露の五郎兵衛作の笑話本「露休置土産」(ろきゅうおきみやげ)所収の「親子共に大上戸」【出典:笑い学講座 第20回:落語2]」(帝京平成大学HP内)】
  22. ^ 江戸落語では「掛取万歳」に当たる。原話は1833年(天保4年)刊行の初代林屋正蔵作の噺本「笑富林」(わらうはやし)所収の「しゃれもの」【出典:「笑い学講座 第20回:落語3」(帝京平成大学HP内)】
  23. ^ この噺の前半部分を独立させたのが「酔い亭主」。原話は1812年(文化9年)刊行の笑話本「福三笑」所収の「琵琶葉湯」【出典:「笑い学講座 第20回:落語3」(帝京平成大学HP内)】
  24. ^ 原話は1775年(安永4年)刊行の笑話本「一のもり」所収の「会津」【出典:「笑い学講座 第20回:落語3」(帝京平成大学HP内)】
  25. ^ 「きんのだいこく」と読む。初代桂春団治の十八番のネタの一つ
  26. ^ 三弥曰く「『野ざらし』の場合はこの噺の前半部分がない。米朝師匠が仕立て直した噺」【出典:2013年(平成25年)7月12日OA「桂三弥の出前寄席・1席目」】
  27. ^ 「こめあげいかき」と読む。江戸落語では「ざる屋」に当たる。三弥曰く「落語の中にも今はあまり言われなくなった言葉が出て来て、例えば『いかき』は『ざる』を、『おうこ』は『天秤棒』の事をさす関西の言葉」【出典:2013年(平成25年)3月22日OA「桂三弥の出前寄席・1席目」】
  28. ^ 噺が短い為、他の噺(「からぬけ」「ろくろ首」等)の枕(本題に入る前の部分)に披露される事がある。
  29. ^ 江戸落語では「佐々木政談」に当たる
  30. ^ オチの「斬らず(=雪花菜(きらず))」「まめ(=豆)で」は豆腐屋を営んでいる事に引っかけたモノ。三弥曰く「大岡越前の三方一両損にも通じる中々粋な噺で、私も大好きな噺です」【出典:2013年(平成25年)3月29日OA「桂三弥の出前寄席・1席目」】
  31. ^ (内容が現在の世相とは違う為に)席亭によってはこの噺をしない所も【出典:2012年(平成24年)11月30日OA「桂三弥の出前寄席・1席目」】
  32. ^ 原話は1837年(天保8年)刊行の五返舎半九(ごへんしゃはんく・・・浮世絵師蛟斎北岑の父)の笑話本「落噺仕立ておろし」(おとしばなししたておろし)の中の「しわんぼうになる伝」【出典:「笑い学講座 第20回:落語3」(帝京平成大学HP内)】
  33. ^ 三弥曰く「個人的にはざこば師匠の演目が大好き」【出典:2013年(平成25年)2月8日OA「桂三弥の出前寄席・1席目」】
  34. ^ 江戸落語では「かつぎや」(「七福神」とも題される)に当たる
  35. ^ 首提灯」の前半部分を独立させた噺。
  36. ^ 鷺とり」の前半部分を独立させた噺。
  37. ^ 江戸落語では「蜘蛛駕篭」に当たる。三弥曰く「サゲがいくつもあるが今回はこれで。以前披露した噺だが気に行っているので今回も・・・」【出典:2013年(平成25年)7月27日OA「桂三弥の出前寄席・1席目」】
  38. ^ 「たいらばやし」と読み、江戸落語では同じ字を書いて「ひらばやし」と読む。原話は1628年(寛永5年)刊行の笑話集「醒睡笑」に掲載。【出典:「笑い学講座 第21回:落語4」(帝京平成大学HP内)】
  39. ^ 原話は1776年(安永5年)刊行の噺本「聞上手」の中の「あらみ新躬」【出典:笑い学講座 第21回:落語4(帝京平成大学) 】
  40. ^ 「二階借り」「二階の間男」とも言う。所謂艶笑物(下ネタ)で、三弥曰く「戦時中は口演を禁じられたりもした程。披露する機会が少ない噺」【出典:2012年(平成24年)12月1日OA「桂三弥の出前寄席・2席目」】
  41. ^ 原話は1690年(元禄3年)刊行の鹿野武左衛門を中心とする同人笑話集「枝珊瑚珠」に収められている「人の情」に所蔵【出典:笑い学講座 第21回:落語4(帝京平成大学) 】
  42. ^ 江戸落語では「酢豆腐」に当たる
  43. ^ 原話は1789年(寛政元年)刊行の噺本「炉開噺口切」(ろびらきはなしくちきり)の中の「鶴」【出典:笑い学講座 第21回:落語4(帝京平成大学) 】
  44. ^ 「ん廻し」の後半部分を独立してこう呼ぶ(因みに前半部は「寄合酒」)
  45. ^ 三弥曰く「短い噺なのでこの後に『商売根問』『鷺とり』をつけたりする」【出典:2013年(平成25年)3月1日OA「桂三弥の出前寄席・1席目」】
  46. ^ 担当した番組「桂三弥の出前寄席」最終回の締めの噺となった【出典:2013年(平成25年)10月26日OA「桂三弥の出前寄席・2席目」】
  47. ^ この日は本来のオチ(義太夫の師匠に騙られる)ではなく、兄弟子・桂枝三郎作のオチ(女が目印にタライを置いておくと言い、オチは「鬼の来ぬ間に転宅(=洗濯)」)で一席【出典:2012年(平成24年)11月16日OA「桂三弥の出前寄席・1席目」】
  48. ^ 三弥曰く「『ドラえもん』の作品の中にもこの噺からヒントを得た物(人間切断機)が登場するが、落語好きな藤本先生ならでは」【出典:2013年(平成25年)6月1日OA「桂三弥の出前寄席・1席目」】
  49. ^ 三弥曰く「明治の噺だが今では古典の一つとして考えてよい」とのこと。また「解りやすい噺で、初めて落語を聞く方に『時うどん』『平林』と並んでよくやるネタの一つ」【出典:2012年(平成24年)12月14日OA「桂三弥の出前寄席・1席目」】
  50. ^ この噺を3代目柳家小さんが江戸に移植したものが「時そば」で、原話は1726年(享保11年)刊行の笑話本「軽口初笑」の中の「他人は喰い寄り」【出典:笑い学講座 第21回:落語4(帝京平成大学) 】
  51. ^ 別名「鼻ねじ」
  52. ^ 「猫の皿」とも言う。原話は1821年(文政4年)刊行の瀧亭鯉丈作の滑稽本「大山道中膝栗毛」(全三巻)の下巻に収録されている。【出典:笑い学講座 第21回:落語4(帝京平成大学) 】
  53. ^ 別名「雀旅籠」。「親にカゴを描かせた」のオチは浄瑠璃「双蝶々曲輪日記」・第六段「橋本の辻駕籠に相輿の駆落」の中に出て来る遊女吾妻の台詞「現在、親(=駕籠かきの甚兵衛)に駕籠を舁かせ」に由来し、これは「親に駕籠かきの様な商売をさせたから親不孝をさせた」という解釈がされている
  54. ^ 原話は1773年(安永2年)刊行の笑話本「聞上手」の中の「凧」【出典:笑い学講座 第21回:落語4(帝京平成大学) 】。この日が初天神の日だった事から選んだ噺。三弥曰く「この『初天神』(の舞台)はよく『お初天神(=露天神社)』と間違えている方が多いが、『大阪天満宮』(が舞台)の噺」【出典:2013年(平成25年)1月25日OA「桂三弥の出前寄席・1席目」】
  55. ^ 別題は「提灯屋相撲」。三弥曰く「相撲を扱った噺は色々あって、六代桂文枝は『大安売り』を程良い長さにアレンジし演目にしたり」【出典:2013年(平成25年)3月2日OA「桂三弥の出前寄席・2席目」】
  56. ^ この噺を三代目蝶花楼馬楽が東京に移植したものが「隅田の花見」といいこれが後に「長屋の花見」になる。三弥曰く「実はこの噺は後半があり」とその後半部の概略を説明し、今回は短縮版を披露した【出典:2013年(平成25年)4月5日OA「桂三弥の出前寄席・1席目」】
  57. ^ 「へっつい」は関西の言葉で「」の事。三弥曰く「尻切れ蜻蛉のような終わり方だけれど、現在は皆こんな終わり方をしている(落語家が多い)噺」【出典:2013年(平成25年)4月26日OA「桂三弥の出前寄席・1席目」】
  58. ^ 「(今週末は)節分なのでそれに相応しい噺を」【出典:2013年(平成25年)2月1日OA「桂三弥の出前寄席・1席目」】。各季節の終わりの日である節分、特に冬が終わり春を告げる立春前日の節分は旧暦の大晦日に近く、昔は節分の日に邪気を祓う追儺の行事が行われたり、厄払いをした。
  59. ^ 三弥が初めて師匠から教わった噺【出典:2012年(平成24年)1月3日OA「三弥の寄席にいらっしゃい」】。江戸落語では「粗忽の釘」に当たる。原話は1816年(文化13年)刊行の「噺栗毛」の中の「田舎の粋」、1830年(天保元年)刊行の「噺栗毛」(京都版)の中の「田舎も粋」という説がある。【出典:笑い学講座 第20回:落語3」(帝京平成大学)】
  60. ^ 悋気(りんき)とは嫉妬の事。原話は1833年(天保3年)刊行の桜川慈悲成の笑話本「延命養談数」の中の「火の玉」。この「火の玉」由来の噺に「悋気の火の玉」という噺も有。【出典:笑い学講座 第21回:落語4(帝京平成大学) 】
  61. ^ 江戸落語では「権助魚」に当たる。三弥曰く「演じる人が少ない噺」【出典:2013年(平成25年)6月28日OA「桂三弥の出前寄席・2席目」】
  62. ^ 三弥曰く「師匠(六代桂文枝)の意向で、(師匠が)落語を創作する際はペンネーム的に桂三枝を用いる」【出典:2012年(平成24年)7月28日OA「桂三弥の出前寄席・2席目」】
  63. ^ 三度目の最後の選択肢を少し変えて、サゲが「この男が1971年の9月28日に生まれたこの私(桂三弥)」【出典:2013年(平成25年)4月27日OA「桂三弥の出前寄席・2席目」】
  64. ^ 「(昔のバイト時代のころを思い)あぁ懐かしいなぁと思って一席やらせてもらいました」【出典:2013年(平成25年)5月24日OA「桂三弥の出前寄席・1席目」】
  65. ^ 三弥曰く「この噺は自分の原点になった噺」。「大学の落研(落語研究会)にいたけれど『古典(落語)って解らへん』と思っていたが、そんな時に桂三枝大全集〜創作落語に出会いそれを見て『これや!』と思った。(落研での)最後にこの噺をやりまして、この世界に興味を持ちました」【出典:2013年(平成25年)10月25日OA「桂三弥の出前寄席・1席目」】
  66. ^ この噺に三弥のアレンジが加わった「結婚」も有
  67. ^ 三弥曰く「実際に師匠が経験した事をヒントに噺にしたもの。(実際にあった鉄工所では)100回位落語会を開かせてもらった事もあって、この噺をする時は身が入る」【出典:2013年(平成25年)4月20日OA「桂三弥の出前寄席・2席目」】
  68. ^ 大阪を題材にした噺は他にも複数あり『大阪レジスタンス』の例を挙げてこの日は説明。三弥曰く「『大阪レジスタンス』は小説『プリンセス・トヨトミ』の様な作品」。更に「『STUDYしまっせ大阪弁』は標準語っぽい関西弁を用いているので、(日頃コテコテの関西弁を使う)僕らがやると少し難しい」【出典:2013年(平成25年)5月18日OA「桂三弥の出前寄席・2席目」】
  69. ^ 三弥曰く「師匠が大好きな噺で、独演会の際にこの噺か「涙をこらえてカラオケを」のどちらかを必ずという程」【出典:2012年(平成24年)10月27日OA「桂三弥の出前寄席・2席目」】
  70. ^ 「私あまり流暢とは言えない為、今まで(ラジオ寄席で)やった中で一番大変だった落語ではないでしょうか」【出典:2012年(平成24年)12月8日OA「桂三弥の出前寄席・2席目」】
  71. ^ 「桂三枝大全集〜創作落語125撰〜第23集」解説では「自宅から大阪に向かう高速道路からマンションと貸しビルに囲まれた田んぼがあってそこから想像して出来た」とあるが、更に三弥曰く「実際に師匠が米を新潟から取り寄せていて(そんな点も合わせて)生まれた」。【出典:2012年(平成24年)11月10日OA「桂三弥の出前寄席・2席目」】
  72. ^ 三弥曰く「裏話がありまして、師匠(六代桂文枝)と師匠の一つ上の兄弟子の先代の小枝さんが易者に字画を見てもらった。、先ず師匠を見た易者さんは『いい字画ですね』と次の小枝さんへ。ところが二人が全く同じ字画だと知り易者さんが絶句した」【出典:2013年(平成25年)4月6日OA「桂三弥の出前寄席・2席目」】
  73. ^ 「こんな時代もあったなぁと懐かしく感じた方もいるのではないでしょうか。皆さんバレンタイン頑張って下さい」と結婚願望のある一人やもめの三弥のこの言葉でこの回を締めくくった【出典:2013年(平成25年)2月9日OA「桂三弥の出前寄席・2席目」】
  74. ^ 三弥曰く「この作品は(昭和)50年代半ばに作られたもので、その時代の物が(作品の)中に。若い人の中には分からない方もいるのではないかと思ったが、作られた当時の事を大事に(今回それを)尊重した(時代に即した改変はしなかった)」【出典:2013年(平成25年)2月2日OA「桂三弥の出前寄席・2席目」】
  75. ^ 三弥曰く「我々のキャリアでするとまだ早いと言われる」【出典:2012年(平成24年)12月7日OA「桂三弥の出前寄席・1席目」】
  76. ^ 古典落語「桃太郎」の続編として師匠が創作した噺【出典:2012年(平成24年)7月7日OA「桂三弥の出前寄席・2席目」】
  77. ^ 三弥曰く「小学校の時と中学校の時に演説をした事を思い出した」【出典:2012年(平成24年)12月15日OA「桂三弥の出前寄席・2席目」】
  78. ^ 三弥曰く「この噺はやればやる程自分は(自身の将来の結婚や子供の誕生が)どうなんかなぁと思う」【出典:2012年(平成24年)11月3日OA「桂三弥の出前寄席・2席目」】
  79. ^ 三弥曰く「枝雀師匠と私の師匠の会がありまして、同じ題で噺を作ろうという事になって出来た」【出典:2013年(平成25年)6月29日OA「桂三弥の出前寄席・2席目」】
  80. ^ 放送日前日に当たる2013年12月31日の12時から伊勢河崎輝輝亭で行われた「大晦日24時間落語」。2012年に続き2013年も弟弟子・桂三輝主催のこの落語会に出演し、当番組放送直前に名張に帰って来た三弥。この日は2ヶ月ぶりに「桂三弥の出前寄席」が生放送で復活した。2014年元旦のこの日は「竹の水仙」「私がパパよ」の2席。【出典:2014年(平成26年)1月1日OA「お正月特番 ほっと。すて〜しょ〜ん 83.5」】
  81. ^ 放送時に名張市観光大使を務めていた3人(桂三弥、竹田京右、チャンカワイ)による番組。
  82. ^ 1月1日12時から生放送(それ以外は再放送)で放送された1時間の番組。その中の「桂三弥の初笑い落語」に於いて「松山鏡」を1席披露した。

出典

  1. ^ a b 観光大使:なぞかけで名張をPR 落語家・桂三弥さんが初代に、市役所で市長から委嘱状」(毎日jp)/「市観光大使に桂三弥さん 名張市」(伊賀タウン情報YOU)
  2. ^ 2013年(平成25年)4月6日OA「桂三弥の出前寄席・2席目」
  3. ^ pdfファイル(名張市HP内広報なばり)…消失
  4. ^ お囃子入りの落語も披露 桂三弥さん落語会 11月3日、藤堂家邸で」(伊賀タウン情報YOU)
  5. ^ 演劇集団ビーアゲインブログ
  6. ^ 2013年(平成25年)6月15日OA「桂三弥の出前寄席・2席目」
  7. ^ 名張市 初代観光大使に桂三弥さん 「市の落語、創作したい」」(伊勢新聞)
  8. ^ 桂 三弥 | 上方落語家名鑑
  9. ^ 兄T (2023年1月26日). “三弥は自ら命を絶ちました”. 桂三弥ブログ『夢の続き』. 2023年5月1日閲覧。
  10. ^ “桂三金さん48歳で急死 師匠・文枝「こんなことが起こるのかと」”. スポーツ報知. 報知新聞社. (2019年11月10日). https://hochi.news/articles/20191110-OHT1T50287.html 2019年11月11日閲覧。 
  11. ^ a b 「桂三弥」永遠に 亡弟の芸名冠した会社、名張市で設立 7月追善公演”. 伊賀タウン情報ユー (2023年6月11日). 2023年7月18日閲覧。
  12. ^ 三成知弘. “桂三弥株式会社を設立しました!”. 桂三弥ブログ『夢の続き』. 2023年7月22日閲覧。
  13. ^ 実兄T (2023年7月25日). “六代 文枝一門会~三弥追善公演~盛況でした”. 桂三弥ブログ「夢の続き」. 2024年2月1日閲覧。
  14. ^ 2011年(平成23年)5月3日OA「三弥と容子の黄金休暇」
  15. ^ 8月の落語会予定について話そうか?」(「桂三若落語日記〜もう一杯分話そうか?」ブログ)


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